*** 東欧旅行記2 ***

6/5Jun(水)
 とても、とても、とても、疲れています。ほんとにしんどい。珍しく8:00まで寝ました。よたよたと起きて、ともかく、朝ごはんに一昨日買っておいたクッキーを食べる。鼻水が出るので、ベンザを飲んだで横になった。お掃除の女性に又、20レバで洗濯を頼む。10:30まで横になり、ミネラルフォーたーを買いに。12:30ご飯を作って食べ、眠る。目が覚めたら15:00。お腹がすいているので、朝作ったご飯を食べる(白飯に大根葉とさけをまぜた)。さけは、もう、臭うので1/3残ってるけど捨てた。
 とてもさっぱりして起きられた。トランクの整理をして、今日は1日休息日です。
 夜ね、昼に買ったジャガイモを湯がいて、つぶして食べた。めっちゃおいしい。今、一平ちゃんの焼きそばを作っています。今日は、くっちゃ寝の楽しい一日。焼きそば食べたらお風呂に入って寝ます。

6/6Jul(木)
 今日は、 プラディフ 行きはやめようかなと思っています。いずれにしてもレセプションのお姉さんに、汽車の時間を聞いてみると、新しいタイムテーブルを聞いてあげると言って、いろいろと親切にしてみてくれたが、電話がつながらないので、結局行ってみるか、バスかにすることに。バスストップを聞くと、100m程だと言うけれど、地図を書いてくれと言うと、何とカルロボのマップを出してきた。最初の時に、違う女性に聞くと、無いと言ったぞ! これが欲しいというと、「15レバだが、あんたにはわからないと思う」というので「いい、いい」と言って、買った。このホテルの場所は?と聞くと「小さいから載ってないが、この辺」だと言うので印を付けた。お金を払おうとすると「ほんとにわかる?」と言うので、「OK OK」と言うと、笑って5レバお釣りをくれた。さて、 ソポト へは4キロの道のりだという。 プロディフ へは60キロで毎時発とのこと。どうするか、少し休憩してから考えよう。ちょっとしんどいから。

ソポト の ゾラフの家 へ行くと、大勢の子供たちが来ていて、声をかけてくる。12才と言うから小学の6年生ぐらいかな。課外授業できていて、先生も大らか! 記念撮影をしあい(私も向こうのカメラを押してあげました)、住所を教えろと言う。日本語と英語の両方で書けととのことで、TELNoまで、どんどん次々書かされました。写真を送れというので、住所を書かせました。

  Bulgaria Plovdiv Lista CenchDIVo18 School G B6nkovsky Class6

 そして、何と彼らみんなで、壺を買ってプレゼントしてくれたのいです。嬉しかった! これ、とても良い匂いがするのはなんだろうか・・・。
 明日は カザンルク に発つ。お腹が減ったのでご飯を作ろう。なんだかあんまり食べたいと思わないので、見回してみると、ふかひれスープがありました。全部食べきれないだろうけど、これだったら食べたい。できるまで押し花を作っていたら、もう9:00。でも外は中学生くらいのがたむろしている。フカヒレの中にご飯を入れて雑炊を作った。ウーン うまそう。乾燥ネギを思いっきり入れると、ああ、もう食べるぞ!
 このたび、スプーンもナイフも入れ忘れた私は、しゃもじですくって食べることにした。下でビールも買っていたので、ああ、おいしい。ふと外を見ると、あのガキ共様がこっちを見て(ぎょぅさんで)「おお日本人が食ってる、食ってる」なんていってんだろうか!もっといて、負けへんで。しゃもじで食べるのを見て、日本人はみんな大きなスプーンで食べると思うだろうな(教科書に出たらどないしょ)。でもとってもデリシャス!あげへかんらね。
 このままだと日本人における誤解が生じると困るので、梅干しを箸で食べるところを見せてあげよう。注目してるぞ。ほれ、こうするのじゃ。セロリも、それ、こうつかんで ん! 見たか、見てる。よしよし。それではもう向こうを見なさい。人が食事しているところをじろじろ見るのではない。行儀が悪いぞ。 といいつつ、私はぺろりと食べました。あーあ、おいしかった。満足、満足。

6/7Fri(金)
 昨日は久々に胆石が痛み、夜中に坐薬を入れた。多分久しぶりに大食したのと、フカヒレスープの油が悪かったのでしょう。でも激痛ほどではない。昨日、中学生がわんさとここに泊まって、夜中まで騒いでいた。壁をたたいたりするので、よく目が覚めた。上か下かのおじさんがドアをたたきに来て、怒鳴っている声で、又目が覚めた。それから静かになったかは知らない。

 朝もにぎやか。若いから元気やねえ。8:30まで、粘って横になっていたが、もううるさいと、起き出し、カーテンを開けたら、鈴なりになって見上げている。
 10:30チェックアウトをして、12:00迄大丈夫だというので、少し横になれました。とにかく、良い人と出会い、良い旅をして、目的の民族音楽に出会えるよう、祈った。

 もう一度、 レフスキの家 へ行って四つ葉を探してみたがだめでした。本当に貴重だからこそ幸運をもたらすというのだね・・・。
 12:00にTAXIが迎えに来て、一路カルロボへ。全部ブルガリッシュはわからないと言うのにズーッと説明してくれる。ロバはマガーレ、馬はコーレ、犬は・・忘れた。途中、脇道にそれて、サクランボがいっぱいの道に止め、どんどん採ってくれる。おいし−い。おいし−い! お腹が減っていたのでこれで一杯。カフェにも寄って、コーラをおごってくれる。
 怖そうなおじさんが出てきたが、良い人だった。その人のすすめで、バラの油の工場へ。静かで何ともいえない村。ものすごい数のバラが袋に詰めてある。写真を撮るなと、21才の御曹司がのたまわりました。シカゴの学生だそうです。バラのオイルが10$! 1本だけ買う。あまりに高いじゃないの! あこぎな商売してはりまんなあ。

 ボテフの生まれた町に寄ってもらった。ここもとても大勢の人が訪れている。遊びながら来たので、時間がかかったが本当に楽しかった。バッグの中にはサクランボがい−っぱい入っている。

 ホテルカザンルクに入ろうとしてびっくり。何と日本人街と化している。うじゃうじゃと日本人がいて、3か前とは大違い。でも、すごく嬉しかった。日本語やんかあ。ドライバーに10$余計にやった。
 さて、ともかく風呂と思ったが、湯が出ない。多分時間制なのねと、とりあえず表へ。
 すると男性(大分の年齢だ)が廊下で大きな声で「私は一人旅をしています」と叫んでいた。「えー? 私もです」と言うと「あ、ツアーのメンバーではないのですか?」と言うことで、エレベーターを一緒に降りて行ったのですが何と71才で5回もガンの手術をしながら、3月に日本を出発、10月までがんばるとのこと。何週間か前ベルリンでバウチャーを半分無くして大変な思いをしたが、ポーランドのワルシャワで色々手配をし、もう日本へ帰ろうと思った。もう、俺はこれで終わりだと思ったとのこと。けれどクラコフへ行ったら、街はすばらしく、人々も暖かかったので、息を吹き返したとのこと。でも何とすばらしいことでしょうか。71才! ガン手術5回! フェスティバルの後、お米を2合炊いて、お寿司を作り出会いを祝った。3ヶ月ぶりのご飯だとか。喜んでいました。私はビールとハムをごちそうになった。

 彼のお隣の部屋に泊まっていた近ツーの人が、私がお寿司を運んでいると、「ルームサービスであるんですか?」とびっくり。毎日とても口にできるものはないと嘆いていたので、お裾分けをしました。梅干し入りのおにぎりも(お焦げが入っている!)3ヶ作り1ヶ差し上げ、あとはかくなが?氏に置いて帰った。みそ汁と海苔も。久々に日本人と話ができると喜んで11:30を過ぎても、まだまだと言って帰えしてくれない。12:10にもうお休みなさいと帰ってきた。ちょっと疲れました。

 フェスティバルもすばらしいものでしたし、ビデオ、フォト、とりまくりで、レコーディングもしまくり、地元の人々のカメラへの熱いまなざしは、そのまま私への厚意となり、優遇され、私はラドスチナという12才の助手迄出来、彼女は舞台の脇まで行って、写真を取りまくり。よくやった。ローズクイーンもめっちゃドラマチックな? 登場をし、最後は参加者出演者入り交じったダンス。
 楽しい、楽しい、一夜でした。
 広場の祭りは終わっても、その後、番外のミュージシャンが、別の場所で2:00位迄、ガンガンの歌いまくり。安定剤を飲んでぐっすり寝た。


6/8 Sat(土)
 6:30目覚ましが。やっぱりとても疲れてる。ぐずぐずしながら用意をし、8:00 録画・録音の準備 バッチリ。さあ、ローズピッキングに出発。レセプションのお姉さんは、勝手に行けと行っているが、ホテル前には迎えの車が一杯。あれのどれかに乗れるはずだ。
 だが71才が来てない。えーー?と思いつつ、3Fに行ってノックしたが応答なし。降りてきたら車が殆どいない。えー! ウロウロしていると、ツアーの添乗員のお兄さんが、自分とこの車に乗せてくれるよう手配してくれた。ありがとう。と思っていたら、何とその車の中から、例の71才が「おーい、ここ、ここ」だと。ええかげんにせいよ。

 何とか無事にピッキング会場に辿り着き、降りると、前触れの音楽が終わった。口上が述べられ、今年の、ま、ピッキングクイーンとでも言うのか、美人の少女が紹介されて、いよいよバラ摘すが始まりました。これも本当にすばらしいものでした。きてよかったあ。来させてくれてありがとう。帰りに バラ博物館 に寄り、(車はフォークダンスクラブの人たちのツアー専用車なので)日本語ガイドが付いていてラッキー。メンバーの人たちと仲良くなりました。

10:00いったん部屋に帰り、熱いシャワーを浴びて、一休み。
12:30にピクニックと称するランチ付きの何かがあるという。28$だよ。どこまで行くんだろう。ところが、前のホテルのローザの中庭であるとのこと。??
 カメラもビデオも持たずゾーリで71才と出かけました。これが失敗。 フォークロアショー であったのだ。しかも、私たちの席は特別席だぜ。仕方ない。飲み放題食べ放題でビール2本とワイン半グラス飲んだところで、突然引っぱり出され、一緒に踊れと言う。皆出てきて踊っていたが、一番偉いおじさんが、私に真ん中へと手を引っ張り、二人で真ん中で踊る羽目に。それまで、仕方なく、いい加減にしてたのに、それ、もっと、足をあげい、都下、言われて、草履のまま、大切にしている右足も何のその、踊りまくり。許してくれへんねん。でもいい汗かきました。

 部屋へ帰り、足の治療をして、シャワーを浴び(ほとんど水)、2H程ねた。

 今日は7:00から、又、祭り。一番前の正面に陣取り(現地の人が行け行けと開けてくれるのだ)、どんどんとりまくり。周りに子供たちがやってきて、助手はする、話しかけてくる。バラを持ったおばさんたちが花をくれる。サービスにビデオを向ける私。祭りも終わりになる頃、ラドスチィナ母子と再会。ラドスチィナは又カメラを持ってとりまくりに行っていた。終了後3人でコーラを飲みに。ラドスチィナには紙風船をあげた。
11:00別れを言ってホテルへ。 明日はいよいよブカレストへの移動なので、しっかりと荷物をパック。重いぜ、これは。どうしても二つにはなる。どうしようか。お風呂に入って寝ようとすると、これが水。あんまりや。シャワーを浴びるだけにして、とりあえず寝ます。
 12:00まで、ロックをやっていて、若者がすごかった。外では昨夜の番外がまたやっている。2:00。

6/9 San(日)
 
 8:00迄ねる。ぐっすり寝た。途中「上井さーん」と言う声を聞いた気がするが夢うつつで寝てしまった。後で、71才だったかとも思う。今日はベルコタルノボへ行くと言っていたので、別れを言いに来られたのだろうな。昨夜差し上げようと分けておいたものをドアの前に置きに行く。お元気に良い旅をされますように。
 11:30過ぎる頃広場に行列が。空にミンコプターが飛びバラを捲いています。祭りは今日が本番なのだろう。心がゆれたが出発することに。
 チェックアウトに降りると日本人の男女二人ずれ。海外協力隊で、女性はベルコタルバに、男性はポーランド ルブリンでいるそうだ。そして、この二人が大変な協力をしてくれて、私は荷物に悩まず、ソフィア行きの列車に乗り、途中で席も確保してもらい、二人が降りた後は、悠々と眠りながら、ソフィアセントラル迄着いたのでした。
 降りるときもおじさんがトランクを下ろしてくれた。ブラゴダリア! ところがエスカレーターはあるが動いていない! おーい。意を決して二つを持って降りていくと、下から女性が走って来て、手伝ってくれた。ブラゴダリア! 
 厚く礼を言って歩き出すと、一人の変な兄ちゃんが、ノープロブレムと言って、荷物を持ってどんどん行く。人がたくさんいるので、ま、いっか、と思いつつ行った。トランクルームだぞ。無事到着。5$だって。くそくらへ! 1$やった。
 バゲージルームで1$払い、チケットを買った。又、兄ちゃんが付いてきて、それは違うと行って別の窓口へ。あ、本当だ。1クラスのスリーピングカーのチケットを買うことができた。24$。安い。兄ちゃん、又、5$だって。あほう。1$やる。後で、あの荷物を列車まで運んだら5$やると言ってやった。

 駅をぶらぶら歩くが、がらが悪い。地上に出るとお腹が減っていることに気づき、駅前のカフェでサンドイッチとコーラを頼み、外のテーブルで食す。
 3日間たまっていた日記を書いていますが、列車の時間が22:40なので、6:00から今20:00です。2H粘っています。
 4人の若者グループと懇談・・?をして、彼らが何才なのか聞き出すことに失敗。
 ブルガリアからどうしても葉書を出したいが、今日は日曜日で、ポストオフィースがあいてないので、切手が手に入らない。
 TAXIに乗ってシェラトン迄行ってみたが、全くだめで、泊まり客でないとだめという。トイレをしっかり利用し、顔も洗ってビジネスフッキングのフロアのどっしりしたソファーで休憩。

 21:30にソフィアのセントラルステーションへ。中は灯がついているのだが、外から見ると何とも薄暗く、入るのが気味悪い。入ってみればそんなことはないのだけれど。そして、何とオペラのアリアが構内に流れていて、ちょっと無理してるかなと言う感じ。
 車内での飲料水など買い込み、5$、5$と言う奴に荷物を持たせて乗り込んだ。チェンジのところが閉まっていたりしたので、そいつが、10$と連呼するし、どうせ持って帰っても使い道のないレバだから、奮発して1500レバやったら、大喜びでキスしようとするので、お断りしました。

 列車はほぼ定刻の22:40に発車。車内も過ごしやすく、蒸し暑かったのも走り出すとさわやか。そして満天の星が何と感動的だったことか。

6/10Man(月)
 早朝5:30ブルがリア国境駅 Ruse 着。にぎやかにコントローラーが来、パスコントローラーが来て、一人曰く、「You speeking English ?」 「a little」というと「You frome コーメ?」と来た。「? コーメ?。ああ、from Japan」。「fun」と言って去る。コーメはドイツ語だろうが。
 Ruseで少し長く列車が止まっていたが、理由はどうも一人の青年が何かもめていた様で、彼は結局ルーマニアのギルギジュラ(国境駅)で降ろされてしまった。可哀想に・・・。

 ところで私はRomanan Visaが無い故か飛行機(ルーマニア・オトペン−−>プラハ)のバウチャーとパスポートをおじさんが持っていったままですが・・・。
 7:30 やっと、バウチャーとパスポートを返してくれ、「サョナアラァ」だって。
 そうしていると、隣のドアを叩いて、「ルーマニア」と言う声。いよいよルーマニアのパスポートコントロールです。いや、そうではなくて、パスポートにほんの小さな紙切れがはさんであった。表には私の名前と、ナショナリティー、パスポートNo。?で思わず裏を見ると、ギルギジュと日付が入っている。これ、ヴィザ? 知らんかった。無くしたらどないすんねん。怖いとこやわ。ええー。
 パスポートコントロール無事通過。
 トランクを開けさせられ、米のは言った袋を「何か?」と聞かれたが「イート」 ミールだったかな、と言うと「Ah」と向こうへ。
 いくらドルを持っているかと聞かれ、ポケットの金を出して(50ドル位)見せると、もうええわという感じやった。良かった。2000ドルって言われへんわ。それにしても、入り口のお金は全くとられなかった。ありがたや、ありがたや。
 もう1Hもしたら ブカレスト に着くので、一休みしましょう。今8:00。

 ブカレスト着9:00。荷物はすぐタクシードライバーが。ミネルバの場所がわからず、乗り換えてやっと着いたが満室。
 荷物を置かせてもらい、腹ごしらえに。ドルをレイに換えたら、60ドルで何とめちゃな札束。 マジェスティクホテルでランチ。ビール、ミネラルウォーター、オムレツ、サラダ、コーヒーで15ドル。一流ホテルでこれです。
 ここで、ブルガリアからの四ッ葉を入れた手紙を発そう。
 暑い、死にそうなくらい。
 12:00キヤピトルに行くと、朝のつっけんおばさんがいて、シングルもダブルも無い(!)アパートメントなら125ドルであるよ、だという。125ドルです! 態度も悪いし、私が125ドル!と叫んだら、鼻でせせら笑うのよ。
 そういうわけで、私はちゃんとしたシングルルームに泊まるため、キャピタルから歩いて2分筋向かいのコンチネンタルに150ドルで3日予約しました。
 日本へTEL。もういくらかかっても構やしない。やけくそだい。パパと末ちゃんで10分ぐらい話しました。

 熱いお湯を浴びて、ぐっすり眠り、食って寝て、休養さ。ブカレストは何にもないんだから。TVも久し振り。洗濯もして、ベットで大の字。ああ、このホテルの豪華さ。お湯も水も最初出なかったので、慌てたけど、ちゃんちゃんと出るようになったし、ミニバーもあるし、風呂に2回入って、明日の風を吹かしましょう。

 ところで、ベルボーイに5000レイあげたら、めちゃくちゃ喜んでいましたが、何故?全く態度が違うのはWhy? 約165円ですぞ・・・。駅のタクシーは10ドルとった。荷物運びの兄ちゃんは1ドルとった。ここの宿泊料は1night 65ドル。そこのベルボーイが・・・? ブカレストは不可解な街です。