**東欧旅行記**

  αβマリア東欧旅行記   

     大地の歌・獅子の国から沈まぬ太陽を求めて

96/5/31から7/26

 αβマリアが一人で、1996年5月31日から約2ヶ月間、ブルガリアから北上して、最北の地ノルウェーのノールカップに至るまでの旅日記を掲載します。写真は一部、国別に掲載していますので、このページでは、とりあえず(将来は写真と合成しますが)、日記のみを掲載していきます。

5/31(金)日本
 昨夜は徹夜をして 1Hから2H弱眠る。
 9:00 この旅が大きな実りあらん事を祈る。良い人に巡り会えること。留守中の全ての良好。
 9:40 出発 息子見送ってくれる。パパの車で関空へ。駅でSUEをひろう

11:10 関空着
  チェックイン 荷物は21.2Kあった。
手荷物2つ。眠い身にはつらい。二人がずっと待ってくれる。そば食す。おいしい。

永の別れだね。
ベルトをさがすがあまり無い。SUE例によってトイレへ。20万を50ドル紙幣に替える。

パパ2FのB/Kへ。なかなか帰ってこない。やっと帰ってきて、B/Kのスタッフと長話、
曰く、奥さんの一人旅心配はないのかの問いに「やくざの姉さんみたいだから大丈夫」

 なんて失礼な! お父さん、Nさん、Kさん(留守電)にTEL
12:45 二人に別れを惜しみつつゲートへ

 飛行機ではずっと寝ていた。和食だったので助かる。真ん中の列4人掛け(となり 出発間際まで空いていたのでしめた、と思っていたら、子ずれの女性二人が駆け込んで来た)。ちびさんは ずっと むずかっていたが私は全く関係なく寝れた。10Hぐらい寝てたので、フライトのなんと短かったことか。目が覚めてとなりの女性が「うるさくて澄みません」と言ってきたが、「全然大丈夫」というと安心して、それから少し話をした。チビさんのお母さんはオーストリア人と結婚して、ウィーン住んでいるとか。楽しかった。
 着陸(ウイーン)、入り口、なんていい加減なコントローラ、バゲージを受け取るとき、あ、しまった、5シリングコインがない。ポーターのおじさんに5$をチェンジプリーズすると、ポケットに入れてカートを1台貸してくれ、さっさとあちらへ。あのね・・・。ま、いいか!(20台借れるけど1台しかいらないのだ)
 ノボテル(ノボテルウィーンエアポート)は出たら目の前。カートごと入ってチェックイン。そのまま御部屋まで。カートは廊下。風呂だお茶だ。洗濯だい!さあ、寝ましょ。夜10:00
今日の出費 ウイーン空港で5$ 計¥550

6/1(土)オーストリア・ウイーン
 3:00に一度、4:00に一度、とうとう安定剤を飲みました。 9:00にあわせていたけど、結局7:00に目が覚め、ご飯を作って食べる事に。 8:00楽しい朝食、みそ汁、コーヒー。残ったご飯はおにぎりにして、いろいろと整理。
 9:40全て整い、休憩しようと思い、ふと、気にかかってフロントにTEL。なんとチェックアウトは10時だと! 古川! あわてて身支度をして、出発しましたよ。
 10:30 空港のポストオフィースでカードを買い家にTEL。パパ、末ちゃん、タコまでいた。
 チェックインに行くと、バゲージコンベアが動かず、長く待たされたが、カートに座って、ブルガリアの歩き方を読んでいると、OSエアーのお姉さんがカウンターからのぞいて、うれしそうに笑っている。やっぱり変わった日本人かな!2つとなりのカウンターでは日本人がいらいらしているもの。
 やっとバゲージ預けて、待合いでおにぎり2つ食べる。お茶もちゃんとあるしね。さあ12:30だ。ソフィアへ行くぞ!

 13:20ソフィア行きのC51ゲートに入りました。日本人は一人もいない。手荷物の検査の男の子に、口笛を吹かれた。「ヤーパーン、ヤーパーン」と言われた。「イエス、そうやで」

 飛行機に乗り込みのしたが、横に2.3の5列という何とも小さなもので、搭乗口もコックピットのすぐ後ろ。窓から操縦の兄ちゃんの姿が見える・・・。口ひげはやしてはねえ。

  ウイーン から ソフィア の空港に着くまで、隣に座ったオーストリアに住む マルガリータというブルガリア出身の女性(年齢不詳)とア・リトルイングリッシュ&ア・リトルドイッチェで話が弾む。
 彼女はプロディフに両親がいて、お父さんが病気なので、1ヶ月ぐらい帰るのだそうです。ブレゲンツというスイス国境に住んでいて、遠い旅をしたので、とても疲れていると言っていた。すごく気の良い人で、プロディフに一緒にこいという。ホテルを替えろと言うが、明日の カルロボ の ローズフェスティバル に行きたいと言って断った。
 少し残念。空港に着いたら、お兄ちゃんが迎えに来ていて、とても仲良し。写真を取り合い、カードも交換。リラビューローでTAXIの手配をしてもらう(17$)。良い運転手で良かった。

 ノボテルについて、部屋に落ち着き、さて、市中を散策。歩いて行くつもりはなかったけど、ついつい歩きました。 大通りに出ると、花屋の屋台がいっぱい出ていて、きれい。両方に野菜、花、チェリーなど、many many。
 鈴を鳴らしながら歌っている陽気な歌姫(?!)がいました。女性4/5人で楽しそう。1ドルを入れると(紙コップを持っていてお金が入っている)周りが一斉に、good!と言い、歌に拍車がかかる。合唱! 今度は私に歌えと言うので「母」を伝授してやりました。「ha fa yo−」が「ka ka yo−」になる。まあ、そうだけでど・・・。一緒に歌って、また拍手。歌姫、ブルガリッシュソングを歌ってやると、歌い出す。うまあーい。
 別れを告げ(うしろでは未だに歌が続く)、しばらく歩いて左に折れ、大通りを右に。前方に古い教会が見え、左手にシェラトン。おっとその手前はガイドブックに見覚えの、セルディカの遺跡ではないか。市電の通りを命がけで渡り、シェラトンの前で、猿をつけたジプシー?にナンパされて、20レフをあげると、おじさんが楽器を弾いてくれたが、猿は芸もせず、食ってばかり。セルディカの遺跡はあまりにも粗末な扱いを受けている。タクシーを捕まえホテルへ(38レフ)。お風呂へはいるのがやっとこで、晩御飯は残りのおにぎりを1個食べ、御茶もわかさず、とにかく寝ました。
 出費 木製パイプ(3$) 昼食 60円 Taxi 38レフ(38円)ホテルチップ1$
    テレカ代 1728円 合計 ¥3191 

6/2(日)ソフィア
 朝6:30目が覚めた。7時から朝食だというので、身繕い そして ちゃんちゃんと食べた。ビュッフェのハムが意外にあっさりとおいしい。3枚。ミニケーキ3つ。オレンジジュース口,トマトジュース1,コーヒー1。パン、ミニクロワッサン1。満足、腹一杯。  帰りに今日の リラの僧院ツァー をの有無を聞く。65$で、ランチ・ガイド付き。のった。10:00出発。2H少々のドライブで、うねうねと山道の奥にありました。すごい所だ。
 ここのところを書くときりがないので、ビデオを見てみましょう。しかし、何とも素晴らしい歴史です。おどろおどろは日光に匹敵かも。ガイドのエレナはさかんにプロディフへ池と言うが、私はこのようなツアーを連日続ける体力も、財力もないよ、ホントに。でも彼女はとても良いしつけを受けたお嬢さんです。彼女の熱意に負け、夜はフォーク・ロア・ショウを観にゆきました。ドライバーのアレックトさんも好き人です。二人に紙風船をあげたらとても喜んでいた。それにしてもこの国の貨幣価値は未だにさっぱりわからない。今日、50ドルを2枚つまみ、100ドルをレフ二替えたら、11000レフになったぞ。チップの相場っていったいいくら! TAXIは38レフ つまりね 38円だ。
 今日の出費 リラの僧院ツアー 65$ フォーク・ロア・ショウ 47$ 灰皿60レフ等々

6/3(月)ソフィア
 10:00ノボテルをチェックアウト。6/1に約束したドライバーがリラの僧院へ行こうと言った。「昨日もう行った。あんたは高い」と言ってやったが、へらへらしている。結局カルロボへ80$で行くことに。ほんっとに高いけど荷物のことを考えると、いたしかたなし。まあ、快適に2Hでカルロボに着き、無事ホテルにチェックインしました。
 重い荷物をふうふう言って運んでくれるし、お金にはかなり執着があって、しつこいけど、人間は悪くない。5$余分にあげました。荷物を片づけ、少し周りを歩き、ちょっと変なカフェーでサンドイッチを食べ、大きなミネラルウォーターを買う。1ペプシ、1コーヒー込みで、170円。
 帰ってきてとにかく湯を沸かす。とても眠いけど、寝ると夜が困るので、レフスキの生家へ行くつもりです。この部屋 1Night 20$(シャワー付き) 眺め良い。このホテルはバルカンツーリスト関係のようで安全みたい。設備は no good だれど。何とも分厚い腹巻きを前に巻いても、依然とそう変わらないくらいの出ぐあいで、顔もすっきりとしてきています。まだ4日目なのに・・・。

 街の中をうろうろしていると、子供がなんだかたくさん出てきた所があり、何だろうと足を止めてみると、そこが何と、レフスキの生家でした。すごーい! だけど、こんな通りの真ん中にあるのだ・・・。ゆっくり見て回りました。最初入り口がわからず、聞いてみたが、おばさん 全くわからなくて、しまいに働きたいのか?と聞かれた。ドイツ語で「アルバイト?」いえいえ。12歳くらいの子供たちが英語を習い始めたところだと言って、よく解り、教えてくれた。ただで入ったけど・・・。
 飲料水を買い、あんまり暑いので、タンクトップを買い(見るからに小さい)、5分丈のパンツも買った(これは何と5$でつりが来たぞ!)

 部屋へ帰って休憩。外がめっちゃ騒がしい。ここはユース並だね。子供がいっぱい泊まってる。リフトで遊ぶな!
 しばらく休憩しましたら、夜のご飯に野菜を買いにその辺へ。歩いて1分の所に屋台でチェリーとトマト。97円でチェリーいっぱい1袋、トマト3ケ、そんなにチェリーはいらないと言うのに何度もすくって入れる。最初おもりを一番大きいのにしていたので、あわてて替えてもらった。それでも1日では食べきれない。太郎に見せたら うらやま−−− フッフッフ。
 ぶらぶらと北へ向かって歩く。水が速い流れの川があって、しばらく見ていた。その語、駅へ向かってひたすら南下する。なかなか風情のある街並。駅前は公園。とにかく人が見る。日本人が一人でぶらぶら歩いているのだからナ。ステーションに入り、ホームを確かめてから時刻表を見た。参った。2/3本先迄の電気案内板は英語でデパーチャーなんて書いてあるけど、1日の印刷してある方はキリル文字。ソフィアとカザンルクはわかるけど、その上に書いてある振り分けの意味が分からない・・・。とりあえず写してきた。帰りの駅前タクシー20レフを50もとりました。抗議しても全くだめ。おっさん。50円だと思って払った。だいぶ腹が減ったれど、気分が悪いけど、でも怒ったら疲れるので、静かに帰るろ。50円やんか。右も左も誰も英語だめ。ちょっと日本へ帰りたくなった。

 写して帰った時刻表をフロントのお姉さんに聞きましたところ、**が現行だそうでございます。13:31に乗って明日はとりあえずカザンルクに行き、リラ・ビョローでTAXIの紹介と祭りの件(本当にカザンルク7日、また、カルロボないのか)、ホテルの件を聞いてみる。
 そとはずーと騒がしい。ここはタウンセントラル(広場)なのですって。その広場の人がどんどん集まってきて、子供は遊ぶし、年寄りも、若者も、にぎやか。よお しゃべってはる。ロビーからリフトに乗ろうとすると、小学生にどこから来たか聞かれ「日本」というと「OK」だって。何んでや。習いたての英語がうれしくて仕方ない様子。「あんたらリフトで遊んでるの」と一応英語で聞くと「?」「UP!」だって。ざまみろ・・・いけない私。江戸の敵を長崎で討ったって、、あのおっさんには何ともひびかん。
 外の明るさと賑やかさに、すっかり惑わされていたけど、もう、20:30やった。もうねようかな。明日は誰も起こさんとってや。チェリー食べたからお腹が空かない。

6/4(火)
 どうしても6:00には目が覚めます。日本時間で13:00だから、そんなもんか。窓を開けて横になってたけど、お腹が空くので、ごはんを作ることにした。今から用意しても、1H後なので丁度いいか。支度をして、みそ汁もごはんもできたら8時。お掃除に女性二人が来たので、ランドリールームはないかと聞いてみた。とにかく互いに言葉はわからない。身振り手振りで通じ、やってくれることになった。20レフつまり20円払った。

 10:00身支度をして出発。まず レフスキの生家 へもう一度行きます。ビデオに納めたいので。今日はちゃんと25レフ払いました。ビデオに撮った後、昨日さがして見つからなかった、四つ葉のクローバーをさがす。どうかありますように。あった! すごい! ありがとうございます! シフスキの庭の四つ葉のクローバー。押し花にして、先生にお送りしたい、心でした。でも、虫が食ってる。ここはすごい虫食いの葉が多く、この四つ葉もそうです。もう少しさがしてみよう。無い。陽がさすので、昨日もさがしてると、日射病になりそうだった。とりあえず、これを押し花にして、明日、また探しに来てみよう。小さなクローバーの花も、一緒に押し花にするため摘みました。ティシュにはさみ、本の間に入れたけど、なかなか上手に葉が開かない。少しでもきれいにと思うけどよくない。ちょっと残念。
 心残りでうろうろしていると、2人の少女が声をかけてきた。プロディフから来たそうで、一人はマグナレダ、もう一人の名前はわからん!。なんべん聞いてもわからない。写真を撮ってくれと言う。しばらくおつきあいをしました。15−6才。生粋のブルガリア人でないかもしれない様子。

 別れて、わたしも、さあ、カザンルクへ。とにかく行かないと、ローズフェスティバルがわからない。聞く人間の全てが言うことが違うのである。
 駅まで20分ぐらい。歩く。少し(1.30H位)時間があるので(13:31の列車)、切符を買ってから、構内にあるカフェーで7upを飲む。ウエイターは一生懸命英語の勉強をしていた。英語で話しかけてくるが、とにかく訛がすごいので、私はますますわからない。でも、何とか話はしましたけど・・・1時間粘って、1時を少し回ったので、ホームへ。アイスクリームを売ってる。とにかく暑いので、買ってみる20レイ。末ちゃんがいたら泣いて止めることでしょう。おいしい。ジプシーの子供がうろうろしている。

 ここは3番線とか4番線とか電光板で表示してあるが、一体どれがそのホームなのか全くわからない。ざわめきが立って列車がいつのまにか入り、人々が移動しだしたので、アイスクリーム売りの女性に「カザンルク?」と聞くと、「そうだ そうだ」たぶん、と言ってくれた。乗る前に列車の横の車掌にもう一度確認。汚い列車でこれでは外も写せない。

 2等のコンパートメントは面白い。どんどん人が増えてきて、入れ墨をした若者は、小さな小さな蛇を連れていた。はじめはびっくりしたけど、本当にかわいい。かまないか?と聞いてから手にのせてもらった。私も蛇もちょっと緊張している。でもとても美しい蛇で、彼はすごくかわいがり、大切にしていた。

 6人がけのコンパートメントは満員になり、他の部屋からも、蛇や私を見学に来る。帽子を回すべきか。
 ここでもフェスティバルのことを聞くと、6・7・8だとか、いや9日だとか色々。もう結構でございます。
 カザンルクについて駅前からTaxiに乗りシプカ峠へ。往復2000円。ここのTaxiのメータはすごい。どんどん上がる。

 帰りにバラ畑を聞くと、もう、摘んでしまった後とのこと。彼も探してくれているみたいだった。「Rose!」と叫んで止めてくれたのが沿道に残っていた、まだバラがたくさん咲いたままの畑。わーい、これだこれだと外に出ると、彼は一本摘んでくれた。すごい香り。これは確かに香料になります。お父さんに石を拾い、さあ、ホテルカザンルクへ。

 着いて、レセプションで訪ねると、バラ祭りは7・8日だという。2night予約しました。とても親切で気持ちの良い女性。美しい。優しい。シプカモナスティルが急な階段だったので、だいぶ疲れた。
 道路の向かい側にあるホテルRosaのカフェでコーラ2本とチョコレートケーキを食べました。
 休憩してからぶらぶら駅へ。しまった。4分前に急行が出たところで、あと2H30Mないのです。
 仕方なく待つことに。その間日本へTEL。19:20やっとつながる。日本は夜中の2時過ぎか・・・。ごめんねPaPa。17:00にかけようとしたら、オペレーターが来てないとか言われて、2時間後に来いと言われたのです。日本はミッドナイトだと言ったんだけど。

 ともかくもうめちゃ疲れたので、ドライバーの言うとおり、2000レバでカルロボへ行ってもらうことにしました。ところが、奴はカルレペという所へ連れていき、「ここじゃない」というと、「ここだと思った」という。「どうすんねん あほ。カルロボへ行け」と行って、連れて行かせた。結局3000レバ払って、もん2$やった。

 TAXIを雇うのが面倒くさいので、7日の12:00にここへ迎えに来て、カザンルクへ連れていかせることにした。
 すごい交渉が大変。お互い言葉がわからない上、肯定と否定の頭の動きが違うのだから。「DA」と言って首を横に振る。「NE」と言ってうなづく。 わからなーい!
 部屋に帰って、熱−い、熱−いシャワーを浴びて、トマトをかじって寝ました。10:00
 今日は長−い一日だった。ま、ともかくバラ祭りを見に来たブルガリアなのだから、目的に大きく近づいて良かった。


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