*** 東欧旅行記4 ***

6/25(火)曇後晴れ
 今日は(いつも?)ゆっくりぶらぶらしながら用意をして、日本へ小包を送る為、郵便局に行った。スーパーでテープを買ってから行った。でも郵便局で売ってる。3.5Kもあるのでカスタマーへ行けと言われたけど遠いしいやだったので、2つにばらにする。箱を買って入れたけど、1つは0K、でもあと1つは0.3Kオーバーでだめだと言われて又やりなおし。それでも持って還るのはいやだったから、根性で送った。両方で5600円位。ええねん。
 帰りにまたスーパーでナイフやら小さなまな板を買った。11:30にベティを出て、4:30迄かかった。何しろ長蛇の列で、やっと順番がきても、ここは違うとか言われる。途中でちょっと腹が立ったりもしたけど、ま、しかたないか。
 疲れたので帰ってひと休み。スーパーで買い物をしておいたので今日は平賀さんのバースディーイブなのでキッチンを借りてポークソティケチャップソース煮込みを作った。チェリーも買っていたし、ハムもあるので大ごちそう。
 彼女は一人っ子で、色々よく似通っている。頑張ってほしい。バラ三輪だけどプレゼント。
 夜、日本人3人の親子連れの人が来て話がはずむ。何んと彼女も一人娘。面白い。学生の時、南フランスに3カ月留学して日本語を誰かと話したいと強烈に思ったことがあるそうだ。よくわかる。日本へ帰ったら又必ずあおう、と記念撮影。
 平賀さんは朝6:30に出て行くし、肥後さんは8:30に出るとのこと。ではこれでお別れ、と互いの健康と旅行の成功を祈りあって別れた。平賀さんはドイツへ行って10日いるとのことだが、8万円しかないがやっていけるだろうかと私達二人に聞き、二人共「ウーム」と返事につまるので青い顔をしていた。やるしかないだろうが。頑張れ。

6/26(水)晴れ一時小雨
 今日は切符を買わなくてはいけない。でも先に買いに行って疲れると、もうどこへもいきたくなくなるので「我が祖国」に出て来る「高い城」のブシュフラドへ行くことに。
 地下鉄「 ムゼウム 」でC線に乗り換え二つ目の ブシュフラド 下車。素晴しい。来て良かった。天気も良いし、本当にモルダウ河がうねって眺めが良い。これでもう良いや。何も見なくていい。これぞプラハの真骨頂。
 相当長くぶらぶらしてドヴォルザークやスメタナの墓にもお参りしました。本当にこの場所はすばらしい。一日いてもあきない。伝説の女王というけど、本当にお城はあったのです。
 丘だけかと思っていたのに城壁や遺跡が残っている。広大な素晴しい場所。市民の公園になっています。明日も来たいなあ・・・。
 プラハ本駅で切符を買う。同じくC線なので都合が良い。並ぶ前にインフォメーションで窓口を聞く。長い列が作られていたが割とスムーズ。1830コルナというから8000円弱か。1STクラスでスリーピングカー。 ワルシャワ へ28日の18:20にプラハを発つことになりました。帰ってマリアに言おうと思ったけどいない。朝からずっと。どうしたのかなあ・・・。
 5:30頃から押し花の整理をして8:30頃から食事。昨日のトマトスープにゆがいたじゃがいもをいれて炊いておいたのを温め、パンとハムなど。チェリーも。おいしい。
 今日は日中はとても温かった。でも今9:30だけどもう冷える。熱いシャワーを浴びて寝よう。明日はゆっくりして今後に備えることにします。
 ※18:30に京子さんにTELしたら寝てた。日本は夜中の3:00頃ですと言う?ねぼけてたね。1:30に寝ている、ということはひまなんや・・・。この時間起きてるのは京子さん位やと思ってTELしたんやけど・・・。

6/6/27(木)晴
 久し振りに朝食を摂りにゆくとマリアが喜ぶ。 ヘルシンキ へは900$もフライト代がかかると言うと大仰天。28日に ワルシャワ へ出発するので、17:15に車を頼んだ。
 どうやら23日の分をキャンセルせず、振り替えてくれる様で嬉しい。チェックを頼んで食事をしていると持って来てくれた。何んと一泊550KCだって!信じられない。
 チェドックの野郎、一泊2000円もペイしてるんだ。次回は直で来るべし。電話代も安い。合計で12,000円位。でも後の宿泊代より高いぞ。明日5時まで部屋を使いたいのでそれも払うと言うと「空いているのだから構わない」と言う。5000KL払って後は良いという。それでも本当に申し訳ない。
 いらない物を捨て、大体の荷造りをして、小包を送りに郵便局へ。結局3つ送った。香水(バラの)入れも全部送ってやった。ざまみろ(何が・・・)。マーケットで靴下を買おう。
 その前に家と長井さんにTEL。家は良子が出る。末ちんと久し振りに話す。馬鹿話。切れた。又かけるとパパが出て、ま、とりあえず元気に明日ワルシャワへ行くからと言って切る。長井さん3回目にやっとかかった。どうも回線が悪かった様だ。元気にしているから、と言って報告。
 いよいよ明日は リトアニア への玄関口、ワルシャワへ出発。少し緊張するなあ。スーパーでいろいろ買い、部屋で遅いランチ。下のベティにハムやソーセージをやって手なづける。抛らないとかまれる。全部やっても未だ見てる。フィニッシュ。

6/6/28(金)晴
 朝ごはんはやっぱり食べには行けなかった。9時に目は覚めたが10時頃のそろそろと起き出し、コーヒーを沸かして買ってあったパンとチェリーやケーキを食べる。満足して身支度やらパッキング。
 11:30頃から最後の別れに市内へ出かける。手ぶらで。とっても身軽。メトロで城入口迄いき、22の トラム で北門へ。かなりぶらぶらする。一家6人に葉書をかき、城の郵便局から出す。
 よくわからないがナショナルギャラリーがあって入った。これは良かった。初めの方はキリスト関係ばかりであったが、なかなか見応えあり。見事。城内の教会のステンドグラスも素晴しかった。細かな表情を活き活きと表している。ビデオカメラも持たずに来たので、次回撮りましょう。思わぬところで時間をとったので今日は ヴィシュフラド には行けない。残念だけど次回又。あの情景は焼きついているし大丈夫。
 14時お腹が空いたので食事に入る。正門の向かって右。立ち食いのF。座りたかったので少し高いけど。なかなかチェコ料理はおいしい。油こくない。

 3時前に出て正門前へ。交代の時間だ。すると城内から女の子が歩いてきて何やら衛兵に聞いている。衛兵は交替の見張り番だから、それどころじゃない。『歩き方』を持っているので日本人とわかり、「こっちこっち、ここにいたら見られるよ」と叫んだ。
 なんと阪大生で3WEEKSも大学をとばして来たそうで9月1日に帰国だそうです。すごい!3回生、看護婦さんになるんだそうです。  すごい!あと ワルシャワ に行って クラクフ 、 ウィーン 、 ブラチスラヴァ 、 ブダペスト 、などに行くそうです、トルコアウト。すごい! ヘオグラード を通るつもりだと言うので、絶対やめて ルーマニア 経由にしなさい、と言った。色々話が弾み、帰国して会う事に。アドレス交換。ますます遅くなったので急いで帰る。
 4:45着、あわててシャワー、パッキング、マリアが呼びに来た。荷物をおろしてくれる。メモリアルフォトを撮ってベティにも別れを言い、心を残して別れた。次もきっと来い、と言うマリア。さようなら、本当にありがとう。ストッキングや重いので電池や、グァムのキーホルダーも置いて来た。彼女達には珍しいと思った。
 さて駅に着いたけど荷物が大変。その上、降ろしてくれた所は一番線ホームの目の前だったけど、私の乗る汽車は何んと七番ホーム。端から端。その上一度降りて又上がるという至難の技が待つ。
 (案内が解らず、その辺にいた駅員に聞くと「Idon’t know」など言っていたが再度聞くと、大分色々聞いてくれたらしく7番ホームだと教えに来てくれた)
 一番ホームからひーひー言いながら降ろしていくと、若い青年が「Can I helpyou?」と言って走って来て、私が「Heavy weight」と言うと「I try」と、たったっと下迄あのトランクを。もう一つは私がおろします。ありがとう、本当に。  「Thank you so much」「You are welcome,bye」なんて爽やかなんでしょう。そしてゴロゴロと2つを延々7番の階段下迄運びながら「着いたらどうやって上迄上げようか・・・」とずっと考えていた。
 すると荷物運搬の車などが上がる様、坂になっている上がり口があったので幸い。又ゴロゴロと押し上げる。嗚呼!長い長い坂を上がりそして今度はホームをバックしていく。どこに私の車両が?!それは最後尾にありました。
 先に小さい方を上げていると後ろから又「Can I help you?」ああ!ありがとう。何んて優しいのでしょう。これはね、持ち上げたらあんたが後悔する程重いのよ。と思っている間に上がって来た荷物。ありがとう、彼は隣のコンパートメントの人でした。大汗かいて上着をぬぎ、お茶をごくごく。
 10分程遅れて出発したが、まだ6:30外は昼、ボヘミアの大地の美しさにビデオとりが忙しい。本当にチェコはすてきです。
 10時前後に チェコ と ポーランド の税関が乗り込んで来た。ほとんどフリーパス状態だけどチェコのあとから来た一人がかばんを開けろと。あけて見せる。服が崩れ向こうも少し後悔気味。
 そうしている内に国境駅に着き約40分程停車。列車の外をランプを持ってゆらゆら車下を点検したりなかなかチェックが厳しい。
 ポーランドのコントローラーにベラルーシのヴィザを持っていないがヴィリニスに行くのに列車の中でとれるかと聞いたが分からんと言う。すると別の隣のコンパートメントの男性が「なになにベラルーシか?」と出て来た。その人の言う事にゃ大丈夫だと言う。信じるしかない。
 汽車はひた走りにポーランド、ワルシャワへ向かって走ってゆく。次はポーランドの国境駅で又長く止まるのだろうか。国境越えはわくわくする。面白い。ああ、国を越えるんだわ!という実感がある。この感触は労苦にかえがたいものがあるのです。

6/29(土)晴天
 ワルシャワに早朝着く、しかし少し遅れたので6:40位。昨夜はろくに眠れなかったので荷物を運ぶ気力が出ない。やっとPeronの上、中地階とでもいうか、上がった。一応エスカレーターはあったので助かった。
 でもどこがどうなっているのかさっぱりわからないのでいやになっていると、一人の男が「Madam、exchanーge money?」とかいろいろ言って来るが無視。でもずっと尾いて来る。
 そして荷物預けを探しているというと「マリオットマリオット」と言ってどんどん持って行き、マリオットのクローク迄連れて行って預けろと言った。ベルボーイが私に「ここに泊まっているのか」と聞く。「No」と言うと「うちの客のを預かるだけだ」と言った。
 当たり前ですね。私も何故ここに連れて来られたのかさっぱりわからないのだから。「ええ、わかっているんだけど・・・」と言うと、じっと見て「何時迄?」「Tonight,9o'clock」と言うと、だまって荷物を中に入れ、チケットをくれた。「Sorry・・」と言って受け取り、頭の中がこんがらがっている内に外へ出ようとすると、あの兄さんは隠れていてにこにこ笑いながら出て来、「OKだっただろ」と言う。この手で何人もここへ連れて来て、無理に預けさせ、丸め込んで金儲けのエサにしてるんだ・・。
 そしてこの時間だからどこも空いてないぞ、チケットも買えないぞ、などずーっと横で言い続ける。そこで「じゃあ、あんたがヴィリニス行きのチケットを買ってよ」と言って売り場に行き、二度ならび直して(売り場が違った)1st claーssのスリーピングカー、ヴィリニス行きの切符を買わせた。
 うっかり両替をして使えないものをつかまされたら困るのと、切符がいくらかかるか解らないものを多くても少なくても困る。本当は7:37があったのだが、こいつがあれはここのステーションからではない、などほざく。何んでわかる。
 21:17も7:37も何も変わらない表示だ。時間以外。けれど私も、又荷物を取りに行くのも間に合うかわからずワルシャワものぞいて見ても良いと思っていたので、日本語で「どこが違うか言ってみろ」などと言いながら笑っていた。
 とりあえずドルで幾らになるか売り場の人に聞くと「Maybe 35$」のところ奴は60$を要求。何言うてんねん、無体と言う言葉を知らんな。でも必死でいろんな事を言う。仕方ないので50$やるともう5$と言う。あほう。もうそれ以上取れないと思うと、さっさと向こうへ。
 別れてはっと気がつく。ポケットに入れたと思った20$が無い。え?あわててバッグを見る。緑の札入れも。あーっ!?あいつすったの?私は駅の真中で呆然。
 大分してからとりあえず売り場に忘れたかもと歩き出す、と、奴が上から降りて来た。又カモって来たらしく、にこにこしている。「You!」と指差すと「どうした?」と気のいい返事。そして知らない、ポケットもほら見ろとか言う。
 取ってても今更持ってないだろが、と思いながら上へ上がって行くとついて来た。そして売り場のカウンターにありました。奇跡的に、スプライトの瓶に入れたお茶と緑の札入れが。20$はちゃんと中に入っていたのです。
 奴に「Sorry」と言うと、いい、いい、それよりチェンジはしないと困るぞとさんざん又言うので、ま、それもそうだし疑って悪かったのもあって15$一応換えた。200000しか渡そうとしないので何言うとん、レートは27やでと言ってもう100000私が奴の手から取りました。
 そして別れた。それでもあんたも大方5$近い儲けじゃないの。私から20$もとったんだよ。帰って寝れるわ。
 街をぶらぶら歩くけど眠気でこけそう。途中ファルキ(臓物を煮込んだスープ)を食べた。ニケのある公園迄歩き、無名戦士の墓の前に。2人の衛兵が直立不動で護っている。永遠の平和を誓う炎が燃え続けている。
 真前迄行き、手を合わせて、世界の平和を祈念。顔をあげると2人が目を瞠って見つめていたのをあわててそらしていた。あとで交替式を見たが、皆写真を撮ったりのぞくだけの様で、手を合わせて行く人はいない様だった。
 ベンチで昼寝。目をつぶり横になるだけで随分違う。お年寄りが散歩に来ている。皆のんびりして気持ちよさそう。噴水の音が心地良い。眠りたいが少し寒いのでやめた。
 お昼ごはんは中華。麻婆豆腐とライスと餃子。ミネラルとジャスミンティ。皆日本のものとは大分違う。でもおいしい。320000という事は1,200〜300円位か。とても親切な「北京」でした。ドルで払った。
 旧市街へ行くと面白い。王室博物館に行った。あれだけ焼かれながらよく集めたなあと思う。歩き続けて疲れたので葉書をかくことに。記念碑の下に市民が座っているのへ同じ様に座り、10枚書いた。  あんまり長いこと座っていたのでお尻も痛いし眠気が再び。さっきから気になっていた音楽のする方へ行くと、バラライカの大きいのと小さいのを混ぜたアコーディオン、ギターのグループが素晴らしい青空コンサートを聞かせていた。
 前の方で若い人達や子供が座っているので私もそこへ。ギターの人が中心で歌う。素晴らしいコーラスです。2H30位聞いていた。彼等のテープ2本750円とあと500円位、見物料を帽子にいれました。堪能した。
 ワルシャワに降りて良かった。私自身も最終というか本然的には青空の下、大地が舞台という思想だと再確認。本当は2時頃からマリオットをとってシャワーとベッドなど思っていたけど、したかったけど、でも15000円は勿体ないしと思い迷った末、広場に来たのでした。本当に良かった。
 少し旧市街をバルバカンに向け歩いてからTAXIをひらい駅へ。Peronを確かめに行ったけど表示がまだ出ていない。とりあえずマリオットへ行き(行って良かった。朝、訳がわからずついていったので入口がわからず、マリオットの目の前でマリオットを聞き笑われた)
 2階レストランで食事。どこにしようかなーあとウロウロしていると、まあ何んておいしそうなケーキでしょう、ここは食事はできないのかしらと見ると、できるできる、ケーキに誘われ入った。ヴッフェ式があったのでそれにする。ビールとおいしいチキンやおいしい野菜、いただけない魚、etc・・。2回おかわりをしてフルーツも嬉しい。カプチーノを頼んでケーキをとりに。おいしい!ああうれしい・・と口走っていた。
 元気の出た所でもう一度駅へ行ってPeron1を確かめ20:20。荷物を取りに行き「誰かステーションへ持って行ってくれないだろうか」とベルボーイに聞いたが無理だという。
 そうか。よし、自分で行くやん。ゆっくりゆっくり、そして押し方もとても上手になりました。階段を降り、ずずずっと引っ張り、練って進むトランクをなだめ、やっとペロン1。
 何度も周りの人にも確認。ベラルーシのヴィザも確認。持ってない人がいて安心。汽車に乗り込む時も手助けしてくれる人多い。何しろプラットホームから70〜80cm以上は高いし。
 コンパートメントにはもう一人いて、この少女が夜中のベラルーシヴィザとりで随分サポートしてくれた。この事で1st classに乗り「45$!!」と大声で喚いてはいたが、ヴィザ代もちゃんちゃん払っていたし、きっと金持ちの家の子なんだろうな。
 ちょっとサリの雰囲気を持っていた。税関の申告も隣のコンパートメントの青年が一生懸命サポートしてくれた。そして、もし言葉が解らずトラブって、カスタマオフィスに連れて行かれる事になったら自分がサポートすると言ってくれた。列車は夜中に何度も何度も止まる。どうも調子が悪い様だ。40分位どこかで止まって整備をしていた。大きな音で、すごく響く。眠れず通路に出て来た人もいる。私も目が覚めていたが上の若者はグウグウ寝てる。若さってすごい。

6/30(日)晴夜雨
 11:30頃 ポーランド 国境通過 。真夜中にベラルーシ側。私を含め3人がオフィスに行ってヴィザとり。女性の係官が「このヴィザは1日しかこの国にいられない、今日中に出て行かなければならない」と厳しい顔で言う。はいはい、私も長居する気はありません。第一『歩き方』がないもの。だるまさんでは身動きならない。どんな国かも解らない。
 でもヴィザはすごいかっこ良い。何しろ45$だよ。たった3H程通過するだけ。これが日に2本。すごい収入源です。まさに「王の道」だね。力も入るね。
 4時頃 リトアニア 入り。ポーランド出国、ベラルーシ入国手続、出国、リトアニア入国、その度に起こされ、故障で眠られず、やっと ヴィリニュス に着いた時はふらふらでした。2晩続けての列車移動、しかも国境越えは年令がついて行けない。
  リトアニア の 首都 ヴィリニュス の駅は大田舎の駅というイメージでした。気が抜ける程。又荷物を持って階段を降りようとすると、随分年輩の男性が手伝おうとしてくれるので「大丈夫ですよ」と言う。あまりに申し訳ない。
 上手にゆっくり降りる。荷物預けにとにかく預け、チェンジしに行って支払い。
 Telカードを買って家にTel、パパは六甲歩き。末ちゃんにリトアニア入りを伝える。
 駅前は何だか悲しい雰囲気。これからの国です。こういう問題を抱えている、というのがひしひし感じられます。
 ホットドッグを買い、持っていたミネラルウォーターでベンチに座って食す。
 いろんな人が周りを歩いている。目の前を行き過ぎ、すぐ横のゴミ箱を覗いて隣のベンチに座る男性。60代かなあ。何んか外人がもぐもぐと頬張っているのが肩身の狭い気になり口に押し込む。
 駅前タクシーは変わらず獲物を狙う目つきの人が多い。ワルシャワの奴も写真見せてもらったけど、誰れしも家に帰ったら奥さんがいて可愛い子供がいるんだ。そして良いパパしてるんだと思うと、ま、いっかと思ったりいろいろ感じるし、考える。
 トロリーバスに乗って市街へ。訳が分からず皆が降りる所で降りたらメッセだった。すごく面白い。でもちょっと楽しむ身体の調子ではないのでバスを乗り換えやっと旧市街へ。
 ヴィリニュス大学の近辺をぶらつく。出店が出て賑やか。虫入琥珀があった。でも高い。すごく高い。
 11:30昼ごはんにいわしの酢のものを食べた。おいしい。腹ごしらえをしてホテルさがし。目星をつけて行ったところが一泊6900円位でバスタブはないし、中庭は工事中。
 私が他にないの、と言うと、もう一軒の自分の所のホテルへ行ってみてくれ、と言うので徒歩7分位の川に近い所へ行ってみたが、満員。受付の女性がこの街一番のホテルの名前を言って、そこへ行けと言う。
 私はそこ迄歩くのがもういやだったので目の前の河を渡った所にあるピライテという貴族の館だった所へ行こうと思い、歩きかけた。そこは何んと初めて見た時、城か博物館だと思った所で、外観はシャトウ。
 よし、ここやと思ってレセプションへ行くと60$だと言うので決めた。部屋は普通の近代的なホテルのイメージとあまり変わらないが、他国でこれ位のステイタスを持ったホテルに60$では泊まれない。どうせこれ位の値段ならここにしようと決めたが、ポーターがいないという。この3階迄の階段をどうする。
 外で客待ちタクシーのできるだけ頑丈で若そうなのを選んで駅迄行き、クロークから荷物を運ばせホテルの3Fまで運ばせ、メーターが560円位の所を10$あげました。(だってここ、1メーター30円位からなんだよ)
 熱いお風呂に入って2:30〜8:00迄どっと寝た。寝付く頃すごい雨と雷の音。そういえば今日傘を持っている人が多かったな、と思いつつ・・・・。
 夜8時、目が覚めお湯を沸かしてごはん、味噌汁、お茶。外は又、雨が降ってきたが明るい。そして12時を過ぎても若い人達の笑い声。でもTVは1局以外12時で終了。この白夜の長い国で。12:30にはその1局も終了。
 私はもう一度お風呂に入り、久々にシャンプーして幸せな心で寝ます。

7/01/月 雨時々曇
 9時に食事が来た。チーズとサラミと目玉焼き。ヨーグルト、コーヒー、パンなど。片目の黄味だけとパン小一切れ、ヨーグルト、ジャム、コーヒーのご飯を食べ、ちょっと休憩して荷造り。
 レセプションの彼女が今日この部屋は0Kだと言ったが断る。2日の夜から3泊の分はリバーサイドをリクエストしておいた所、0Kでした。
 外はかなり寒そうなのでしっかり着る。カウナスで一泊するつもりなので下着を持つ。ホカロンも3つ持った。さあ!・・・ビデオが重い。右手が相当腫れていたので揉んだ。合谷がよく効く。
 階下へ荷物を降ろしていると若い女性が出てきて手伝ってくれ、昨日と違う少し年配の女性と2人で4号室へ入れてくれた。
 私は今日はここに泊まらないと言ったら「よくわかっている、0Kだ」と言ってニコニコしている。3日分チェックしておいた。
 私は勘違いして240$用意していたが180$だった。一泊はもう済んでいたのに。2人共とても気持ちの良い人で若い方が「外は寒いので気をつけて、Good Luck!」と声をかける。「ありがとう」。
 11:30、外は本当に寒い。しばらく歩いていると頭がクラッとするのであわててスカーフを出し、頭に被った。
 ホテル前からバスに乗れば良かったが、ヴィリニュス大学迄歩いて正門を確かめた後、道に迷い、トイレが急ぐのでレストランに入る。カプチーノを頼み、トイレに駆け込み、ほっとしてすぐに外に出る気にならず、日記を書く。お腹がグルグル鳴って来たので時計を見たらもう1時前。
 メニューを見せてもらうとこれが安い。カプチーノは60円、ビーフストロガノフ200円ほど。食べる事にしました。
 リトアニア名物、ツェペリナという奴とビーフストロガノフ。ツェペリナはフライしてあってちょっとしつこい。ストロガノフはとてもおいしかった。ケチャップ味かな。13:30になります。チェックして出発しよう。その前にちょっとトイレ。
 15:16のカウナス行きに乗った。1st クラスで料金は何んと168円位。約1.5時間の旅。車中で葉書を書く。時々雨が降っている。窓外の景色は花がいっばいで美しい。
 カウナス駅に着いた時は何んといって良いかわからない気持ちでした。ホームの上でにこにこ笑っている日本人を見て周りの人はどう思ったでしょう。しばらく駅にいて写真迄撮ってもらった。感無量だった。
 トロリーバスで中心迄行きカウナス城へ。美しい。色合いが良い。香港から来たという姉妹に会い、しばらく歓談。現地の少女達が盛り上がっているアジア人をじっと見ていた。
 一緒に歩いていたが18時〜19時でショップは殆ど終わり。私はホテル探し、彼女達はぶらぶらすると言うので別れた。カウナスを夜中1時の汽車で出るとの事。
 リトエヴァ2に宿をとる。120Let。湯は出ない。ベッドメイクは自らで。思わずユースか!と叫んでしまった。
 一応落ち着き、レセプションでニダ行きの事を聞くと、毎日は無いのではないか、時間は8:30〜9:00位と思うがよく知らない、という事なのでTaxiで見にゆくことに。
 流しを拾い、先ず旧日本領事館の住所を見せ、次に船着場、そしてホテルへ帰って来たい旨告げる。
 坂道をどんどん行くのでTaxiにして良かったと思った。閑静な住宅街にあった。意外と思える程小じんまりしているが、前に立った時涙がこぼれそうになった。来たなあ、と思った。
 しばらく居たかったが住んでいる人がいて話声もするのであまりに失礼と思いビデオも遠慮しながら撮ったが、写真はきっちりドライバーに撮って貰った。カウナスにはこれで他何も見る事ができなくても構わない、と思い乍ら幸せな気持ちで去る。
 船着場に行くと閑散としていて、これで営業してんのかと思う様な状態、ドライバーが「a moment」と言って見に行ってくれた。
 ネムナス川はとても美しい。ビデオなど撮っていると彼が戻って来て「月曜はある、火曜はない、水、木、金、土、日他は全部ある」と言って首を振る。見事に大はずれだけどさっきの気分で全然構わないと思う。
 もう一カ所きれいな所に連れて行ってくれと頼み、ホテルへ帰った。とても親切な人なので気持ちが良い。余分にあげると恐縮して他へも連れて行かんならん、とか言っていたけど、他に行く所もなく別れた。
 私がボールペンを無くした様だ(ホテルに忘れていた)と言っていたので自分のをくれると言う。「いい、いい」と言うと頼むから貰ってくれと。快く頂きました。
 ホテルのレセプションのお姉さんに火曜はあかんかったと言うと笑って、水曜に行ったらと言う。いや明晩ヴィリニュスに帰る予定にしている、もうホテルを予約しているからと言ったらびっくりして、「明日ニダ迄行って明晩ヴィリニュスに帰るつもりにしていたのか、それは全く不可能だ。ニダ迄片道4時間の道程だよ」と言われました。  知らないってこわい・・・・。さっさと予定を変え、明日15:27の汽車で発とうと思う。
 部屋に一度帰り荷物を全部置いて食料と飲み物調達に。今はお腹は空いてないけどあとで困ったらいやだ。
 飲料水を買い、袋をくれないので危なくて持てず、遊歩道のベンチに置いてハンバーガーショップへ。誰か持って行くと困ると思いながら店の少女に袋をもらって振り向くと、やっぱり若い兄さんが自分の袋の中に入れていた。
 「It's mine!」と言って走って行くと、一生懸命あやまっていた。ミネラル3本、スプライト1缶あやまりながら出して来る。
 私が悪いのよ、誰だってここに置いとけば首をひねりながら持って帰ろうと思うよね、これが物乞いのおばさんでなくて良かった。絶対返してくれないと思う。
 部屋に帰って足を洗い(身体は洗えない、水だから)顔う。
 21:30やっと夕焼け気味。22時夕焼け。でももう寝ようとか思っても隣の部屋で大声でしゃべっている。買って来たものを食べ、飲んで日記をつける。23:45。やっと暗い。
 隣はまだ大声。明日はしっかり寝るぞー!

7/02/火 晴
 4時には外はすでに明るく、寝たいけど眠れない。クレイジーな白夜。ラップランドへ行ったらどうなるのか空恐ろしい。
 何度も寝る態勢を試みるけどむなしい努力なのでそれでもベッドにしがみついて8時迄頑張る。食事はしたくない。遅くに食べたから。
 10:30頃チェックアウト、悪魔博物館に行って、ぶらぶらして早い目の汽車で帰る。
 博物館の近く迄行っていたがよくわからなくなり道を聞く。するとその前に素晴らしい美術館があるから是非行けと言われた。
 悪魔博物館は11時と書いてあったが12時から、美術館も。
 30分あるので両替に。美術館の方は大変に啓示的な絵で面白かった。良子が見たら喜びそうなのでカメラはだめだがビデオで撮った。それも断られると困るので隠し撮り。すみません。
 デビルの方も楽しかった。室本君にペンダントのおみやげを買った。
 出ようとすると女性が追いかけて来て話し込む。日本にあこがれているそうだ。日本のデビルを送ってくれとの事。0K、0K。ヴィリニュス大学の3年生とのこと。
 大分長く話したので急いで駅へ。14:20だった。14:58発の汽車が丁度あって6.8Litaとはどういう訳かな。乗り込んでしばらくすると雨。ほんとにころころ変わる天気です。
 8時に寝ました。今度の部屋の風呂は湯が真っ赤。

7/03/水 晴
 昨夜、ヴィリニュスに1時間10分位で着いて16:10、ホテルに16:30位に入った。晩ごはんをどうするか考えていると17時前から又々大雨。雷もばりばり。ホテルのどこかの窓が、揺れる枝で割れた。
 そこで私はバナナを食べて20時位から寝たのです。朝8時迄寝ました。でも又寝て9時に朝食を頼んでいたのでそれで起きた。よく寝ました。
 今日は ラトヴィア のヴィザとり、汽車の切符買い、 バルティカフェスティバル の場所、時間など、する事がたくさんある。そしてうまくとれますように。
 洗濯をしたので出るのが遅れ、11時になった。
 ホテル前のTaxiに住所を見せると「10リタ」と言う。なんで。メーターはないのか。「NO」と言ってトロリーバスに乗った。
 うまい具合に降りた場所から一直線で行く道だったがやっとこ歩いてもめちゃ遠。
 Taxiを拾い乗ったらこれもメーターがない。でも大使館前は警備がいるので3リタ出して0Kだった。ところが11:40に着いたのにもう午前のヴィザは終わりだと言う。
 何んで10〜12て書いてあるやん。14時に又来いと。しようがないナ。苦労して来たのに。愚痴りながら駅へ向かう事に。
 しかし駅で時刻表を見て愕然。リーガ行きしかない。なんで。何度見てもない。切符売りのお姉さんにタリン行きをくれと一辺聞いてみたらやっぱりリーガ迄しかないとの事。タリンはリーガで買えと。えーーー!ちょっと立ち尽くす。ほならしようがない飛ぼう。ああ、ラトヴィアのヴィザ取らなくて良かったぁ・・・。守られたんやなあ。
 あの時10リタでTaxiとばしてたら間にあって20$でパァやったやん。良かったあ。
 さて『歩き方』様のおかげを持ってギンタリスサラにて私はヘルシンキ行きのチケット343$也を手に入れました。無論カードで。ついでにヘルシンキのエアポートホテルもブッキングしてもらった。1Night135$位。
 係の女性が「チーパーだ」と言う。知ってるよ。だからそんなに心配しないでね、ブカレストで160$4泊もしたんや。日本への電話代2万円位かかってんねんで。出すとこでは出すねん。しようがないもん、とか心で思いながらにこにこ笑っていました。
 彼女はとても良い人で一生懸命ホテルを探してくれたり、バルティカフェスの会場の住所を教えてくれました。
 さて一度ホテルに帰った。(その前にペコペコのお腹で本に載っているロキスという所がすぐ近くだったので行ったけどおいしかった)
 16:20位から大雨。どうすんねん!フォークロアダンスがでけへんやんか!
 大雨の中5時にホテルの件でもう一度サラに行かねばならないので出かけようとするとレセプションのおばさんが「こんな雨の中どこへ行くのか?!」と止めとけと言うけど、私は約束があるねん。
 ホテル前のTaxiに仕方なく乗った。気のよい人だったので、やっぱり10リタというのを7リタに値切った。
 ホテルは一応とれたが明日Telする事に。予約Noを言ってくれる。日本料理の店、扉に行く。入口にいた男の子が「すごい雨」と流暢な日本語で言うのでのけぞった。聞けば3年間にいたという。すごーい。でも10才そこそこのあんたが煙草を吸ってるのはどういうわけ?
 そうめん、おいしかったよ。巻き寿司はあかんわ。そうめんの汁はめちゃからで飲めない。
 (カラオケもある)中に3人のリトアニア人がいて、気易くものを言う。面白いので同席して海苔巻きを箸で食べさせてやった。1人はつかめないので突きさしていた。酔っ払っているのでやたらベタベタしてくる。47才だと言ってやったら、のけぞっていた。
 バルティカフェスティバルに行くと言うので会場迄、連れていってもらった。良かった。
 フォークロアの人達は踊れなかったのでフラストレーション解消の為、踊りまくっていた。カメラなどを向けると引っ張られ踊れと言う。勘弁してよオ。でも聞かない、カメラとビデオを預け、踊る。
 うまい、G00D!なんてほんとに!ビデオの撮り方を教えろと言ってくる。これを日本に持って帰るのか!皆陽気で楽しい。ほんとに踊りまくり。どこでも誰でも踊っている。
 8時になると今度は歌。舞台上で。良かった。まさかこのフェスティバルに当たるとは思っていなかった、あわよくばと思っていたけど大当たり。明日もあるのだが、どうか夕方雨が降りません様に。
 10時を過ぎたので帰る。まだやっているけど暗くなると危ないので。夕焼けがとてもきれい。
 ホテルの湯は赤くなかった!明日は トラカイ城 へ行きたい。 KGB 博物館 も見たいが・・・。16時のフェスにも行く。

7/04/木 晴
 ユダヤ博物館 へ行った。2つあって1つはナチスの時の受難。見たとたん涙が湧いて来る。すさまじい。2度とこんな事があってはならないとあらためて思う。
 杉原 氏のコーナーがあり本当に来て良かった事をしみじみと感ず。
 前庭に“月光”という杉原氏の業績を称えたモニュメントが。この心をもっと多くの人に伝えて行かねばならない。
 KGB博物館に行ったが壁を塗ったりしていて全くどこを見て良いかわからず、塗料アレルギーを起こしかけたので慌てて出る。
 お腹がぺこぺこになったのでそこらにあった中華料理に入った。間違って“豚の耳”を頼んだが、ガーリック入りの醤油につけて食べるのがものすごくおいしかった。こんなたくさん食べられるかいと思っていたのに2/3位食べてしまった。
 箸を使って食べているのが相当珍しいのでしょう、ちらちらこっちを皆さん見ています。しかしリトアニアの中華は中華とは言いがたい。
 満腹になったところでタクシーをつかまえトラカイへ。良い天気で気分も良い。このまま降らないでいてくれたら16時からのフォークロアが催行できるのにね。
 ドライバーは本当に変な天気だ、大雨が降って寒いと思ったらこの通り暑くてたまらない、などと言っている(らしい)「クレイジーだ」と言うと「そうだ、ほんとに全く」等言う(たぶん)。
 20分でトラカイに着いた。金を使うとさすがに早い。1Hで帰って来てくれと言うので、えー?とか思いながらお城へ。VTRが1500円位とるので中に入るのはやめた。外からで充分です。
 赤いレンガが水に映って美しい。青空と雲と湖と城。満足、満足。ぼーっと眺めて1Hは過ぎました。  虫入琥珀があるので買う。これは日本では垂涎もの。コーラを2本買ってドライバーに1本やろうと思ったけど、いない。仕方ないので木陰で1人飲んでると、にこにこ笑いながら変なおじさんが寄って来る。
 「Hello?」と聞くと、「いやいや」と言いながらバツが悪そうに向こうへ。変な奴。実はこれが1H前に別れたmy Taxi driver やったんや。はっきり言わんか。おかげでお互い1H待った。私は奴が来ない、向こうは一体何しとんのやそこでと思いつつ。奴の顔を全く覚えてない私が悪かったと思います。
 5時半にバルティカフェスの会場へ運んでもらったけど、あんまり催物も熱が入ってへんし、昨日の方がずっと良かったので早々にホテルへ帰る。ちょっと疲れた。
 ドルが全くなくなり円だけになったのでホテルの子に聞いたら リトエヴァ の中にバンクがあるとのこと。良かった。1万円だけ替えた。これで明日のTaxiの支払いもできる。
 パッキングをして寝る。のどが又痛い。ちょっと危ない。

7/05/金 晴
 9:30ホテル出発。15分位で空港着。小さな空港です。
 少ししんどいのでとにかくボーッとイスにもたれて一時本気で寝てしまった。
 乗ってびっくり、何んとビジネスクラスやってんで。しまったなあ。2万円位で飛べたのかも。そして1番にチェックインしたのでいわゆるいの一番、1のF、窓際。
 でも乗ったらおっちゃんが座ってる。おかしいと思い、スチュワーデスさんに聞くと、言ってくれたんだけど、そいつが「あなたは窓際がいいのか?」とほざく。いいのかではない、そこが私の席やねん。  チェンジしてデイフライトを楽しみました。バルト海を越えるとこも見やなね
 ヘルシンキ着13:40。Taxiでホテルへ。ほんの5分程走って700円近い。高ーーーい!
 なかなかホテルは良かった。高いもん。荷物を部屋に入れ、寝ました。熱がある。汗がずるずると出る。よくぞ飛行機にしたと思う。
 7日迄のこの2日間が何んとも絶妙だ。列車移動してたら大事になっていただろう。
 ヘルシンキは雨。

7/06/土 雨
 熱があって悪寒がするが今日きちんとしておかなければ、 イヴァロ に行って身動きがとれなくなるかもしれない。
 レセプションで聞くと、空港のトーマスクックというカウンターで円のチェンジもクレジットカードのキャッシングもできるというのでフリーバスで空港へ。
 国内線で降りたので国際線迄行かなければならず歩く。身体がガクガクする。
 私のカードでキャツシングができないという。えーーっ!大おどろき。何んでェ。パパの方を出すといけた。何んでぇ?リトアニアでは反対だった。でもとにかく良かった。
 4500Fin出す。円も7万円全部替えた。空港内のマーケットでバナナやカステラなど非常食を買う。
 今夜はちょっと寝込むと思うから。レジの子が「ありがとう、ようこそ」と日本語で。2回東京に来た事があるそうだ。
 フリーバスに乗ってホテルへ帰る。サウナに入ったら良いんちがうかなーと思っていたけど4時からだと言うのでやめる。珍しくJCBのカードの利くTelがホテル内にあったので空港でかけた続きをパパにかけた。とにかく部屋に上がって寝た。
 外は雨と雷。この雷はブラショフから追いかけて来たのだろうか。
 白夜の国は大雨でも明るい。その白々と明るいミッドナイトの空を閃光が走る。
 熱にうかされながら色々と考えた。本当にいろんな事を。明日は イヴァロ へ発つ日。それも迷う。この状態をおしていくべきか。身体に叱咤する。