**東欧旅行記**

大地の歌・獅子の国から沈まぬ太陽を求めて

96/5/31から7/26

 1996年5月31日から約2ヶ月間、ブルガリアから北上して、最北の地ノルウェーのノールカップに至るまでの旅日記を掲載します。写真は一部、国別に掲載しています。

5/31(金)日本
 昨夜は徹夜をして 1Hから2H弱眠る。
 9:00 この旅が大きな実りあらん事を祈る。良い人に巡り会えること。留守中の全ての良好。
 9:40 出発 息子見送ってくれる。パパの車で関空へ。駅でSをひろう

11:10 関空着
  チェックイン 荷物は21.2Kあった。
手荷物2つ。眠い身にはつらい。二人がずっと待ってくれる。そば食す。おいしい。

永の別れだね。
ベルトをさがすがあまり無い。S例によってトイレへ。**万を50ドル紙幣に替える。

パパ2FのB/Kへ。なかなか帰ってこない。やっと帰ってきて、B/Kのスタッフと長話、
曰く、奥さんの一人旅心配はないのかの問いに「やくざの姉さんみたいだから大丈夫」

 なんて失礼な! お父さん、Nさん、Kさん(留守電)にTEL
12:45 二人に別れを惜しみつつゲートへ

 飛行機ではずっと寝ていた。和食だったので助かる。真ん中の列4人掛け(となり 出発間際まで空いていたのでしめた、と思っていたら、子ずれの女性二人が駆け込んで来た)。ちびさんは ずっと むずかっていたが私は全く関係なく寝れた。10Hぐらい寝てたので、フライトのなんと短かったことか。目が覚めてとなりの女性が「うるさくて澄みません」と言ってきたが、「全然大丈夫」というと安心して、それから少し話をした。チビさんのお母さんはオーストリア人と結婚して、ウィーン住んでいるとか。楽しかった。
 着陸(ウイーン)、入り口、なんていい加減なコントローラ、バゲージを受け取るとき、あ、しまった、5シリングコインがない。ポーターのおじさんに5$をチェンジプリーズすると、ポケットに入れてカートを1台貸してくれ、さっさとあちらへ。あのね・・・。ま、いいか!(20台借れるけど1台しかいらないのだ)
 ノボテル(ノボテルウィーンエアポート)は出たら目の前。カートごと入ってチェックイン。そのまま御部屋まで。カートは廊下。風呂だお茶だ。洗濯だい!さあ、寝ましょ。夜10:00
今日の出費 ウイーン空港で5$ 計¥550

6/1(土)オーストリア・ウイーン
 3:00に一度、4:00に一度、とうとう安定剤を飲みました。 9:00にあわせていたけど、結局7:00に目が覚め、ご飯を作って食べる事に。 8:00楽しい朝食、みそ汁、コーヒー。残ったご飯はおにぎりにして、いろいろと整理。
 9:40全て整い、休憩しようと思い、ふと、気にかかってフロントにTEL。なんとチェックアウトは10時だと! 古川! あわてて身支度をして、出発しましたよ。
 10:30 空港のポストオフィースでカードを買い家にTEL。パパ、Sちゃん、タコまでいた。
 チェックインに行くと、バゲージコンベアが動かず、長く待たされたが、カートに座って、ブルガリアの歩き方を読んでいると、OSエアーのお姉さんがカウンターからのぞいて、うれしそうに笑っている。やっぱり変わった日本人かな!2つとなりのカウンターでは日本人がいらいらしているもの。
 やっとバゲージ預けて、待合いでおにぎり2つ食べる。お茶もちゃんとあるしね。さあ12:30だ。ソフィアへ行くぞ!

 13:20ソフィア行きのC51ゲートに入りました。日本人は一人もいない。手荷物の検査の男の子に、口笛を吹かれた。「ヤーパーン、ヤーパーン」と言われた。「イエス、そうやで」

 飛行機に乗り込みのしたが、横に2.3の5列という何とも小さなもので、搭乗口もコックピットのすぐ後ろ。窓から操縦の兄ちゃんの姿が見える・・・。口ひげはやしてはねえ。

 ウイーンからソフィアの空港に着くまで、隣に座ったオーストリアに住む マルガリータというブルガリア出身の女性(年齢不詳)とア・リトルイングリッシュ&ア・リトルドイッチェで話が弾む。
 彼女はプロディフに両親がいて、お父さんが病気なので、1ヶ月ぐらい帰るのだそうです。ブレゲンツというスイス国境に住んでいて、遠い旅をしたので、とても疲れていると言っていた。すごく気の良い人で、プロディフに一緒にこいという。ホテルを替えろと言うが、明日のカルロボのローズフェスティバルに行きたいと言って断った。
 少し残念。空港に着いたら、お兄ちゃんが迎えに来ていて、とても仲良し。写真を取り合い、カードも交換。リラビューローでTAXIの手配をしてもらう(17$)。良い運転手で良かった。

 ノボテルについて、部屋に落ち着き、さて、市中を散策。歩いて行くつもりはなかったけど、ついつい歩きました。 大通りに出ると、花屋の屋台がいっぱい出ていて、きれい。両方に野菜、花、チェリーなど、many many。
 鈴を鳴らしながら歌っている陽気な歌姫(?!)がいました。女性4/5人で楽しそう。1ドルを入れると(紙コップを持っていてお金が入っている)周りが一斉に、good!と言い、歌に拍車がかかる。合唱! 今度は私に歌えと言うので「母」を伝授してやりました。「ha fa yo−」が「ka ka yo−」になる。まあ、そうだけでど・・・。一緒に歌って、また拍手。歌姫、ブルガリッシュソングを歌ってやると、歌い出す。うまあーい。
 別れを告げ(うしろでは未だに歌が続く)、しばらく歩いて左に折れ、大通りを右に。前方に古い教会が見え、左手にシェラトン。おっとその手前はガイドブックに見覚えの、セルディカの遺跡ではないか。市電の通りを命がけで渡り、シェラトンの前で、猿をつけたジプシー?にナンパされて、20レフをあげると、おじさんが楽器を弾いてくれたが、猿は芸もせず、食ってばかり。セルディカの遺跡はあまりにも粗末な扱いを受けている。タクシーを捕まえホテルへ(38レフ)。お風呂へはいるのがやっとこで、晩御飯は残りのおにぎりを1個食べ、御茶もわかさず、とにかく寝ました。
 出費 木製パイプ(3$) 昼食 60円 Taxi 38レフ(38円)ホテルチップ1$
    テレカ代 1728円 合計 ¥3191 

6/2(日)ソフィア
 朝6:30目が覚めた。7時から朝食だというので、身繕い そして ちゃんちゃんと食べた。ビュッフェのハムが意外にあっさりとおいしい。3枚。ミニケーキ3つ。オレンジジュース口,トマトジュース1,コーヒー1。パン、ミニクロワッサン1。満足、腹一杯。  帰りに今日のリラの僧院ツァーをの有無を聞く。65$で、ランチ・ガイド付き。のった。10:00出発。2H少々のドライブで、うねうねと山道の奥にありました。すごい所だ。
 ここのところを書くときりがないので、ビデオを見てみましょう。しかし、何とも素晴らしい歴史です。おどろおどろは日光に匹敵かも。ガイドのエレナはさかんにプロディフへ池と言うが、私はこのようなツアーを連日続ける体力も、財力もないよ、ホントに。でも彼女はとても良いしつけを受けたお嬢さんです。彼女の熱意に負け、夜はフォーク・ロア・ショウを観にゆきました。ドライバーのアレックトさんも好き人です。二人に紙風船をあげたらとても喜んでいた。それにしてもこの国の貨幣価値は未だにさっぱりわからない。今日、50ドルを2枚つまみ、100ドルをレフ二替えたら、11000レフになったぞ。チップの相場っていったいいくら! TAXIは38レフ つまりね 38円だ。
 今日の出費 リラの僧院ツアー 65$ フォーク・ロア・ショウ 47$ 灰皿60レフ等々

6/3(月)ソフィア
 10:00ノボテルをチェックアウト。6/1に約束したドライバーがリラの僧院へ行こうと言った。「昨日もう行った。あんたは高い」と言ってやったが、へらへらしている。結局カルロボへ80$で行くことに。ほんっとに高いけど荷物のことを考えると、いたしかたなし。まあ、快適に2Hでカルロボに着き、無事ホテルにチェックインしました。
 重い荷物をふうふう言って運んでくれるし、お金にはかなり執着があって、しつこいけど、人間は悪くない。5$余分にあげました。荷物を片づけ、少し周りを歩き、ちょっと変なカフェーでサンドイッチを食べ、大きなミネラルウォーターを買う。1ペプシ、1コーヒー込みで、170円。
 帰ってきてとにかく湯を沸かす。とても眠いけど、寝ると夜が困るので、レフスキの生家へ行くつもりです。この部屋 1Night 20$(シャワー付き) 眺め良い。このホテルはバルカンツーリスト関係のようで安全みたい。設備は no good だれど。何とも分厚い腹巻きを前に巻いても、依然とそう変わらないくらいの出ぐあいで、顔もすっきりとしてきています。まだ4日目なのに・・・。

 街の中をうろうろしていると、子供がなんだかたくさん出てきた所があり、何だろうと足を止めてみると、そこが何と、レフスキの生家でした。すごーい! だけど、こんな通りの真ん中にあるのだ・・・。ゆっくり見て回りました。最初入り口がわからず、聞いてみたが、おばさん 全くわからなくて、しまいに働きたいのか?と聞かれた。ドイツ語で「アルバイト?」いえいえ。12歳くらいの子供たちが英語を習い始めたところだと言って、よく解り、教えてくれた。ただで入ったけど・・・。
 飲料水を買い、あんまり暑いので、タンクトップを買い(見るからに小さい)、5分丈のパンツも買った(これは何と5$でつりが来たぞ!)

 部屋へ帰って休憩。外がめっちゃ騒がしい。ここはユース並だね。子供がいっぱい泊まってる。リフトで遊ぶな!
 しばらく休憩しましたら、夜のご飯に野菜を買いにその辺へ。歩いて1分の所に屋台でチェリーとトマト。97円でチェリーいっぱい1袋、トマト3ケ、そんなにチェリーはいらないと言うのに何度もすくって入れる。最初おもりを一番大きいのにしていたので、あわてて替えてもらった。それでも1日では食べきれない。太郎に見せたら うらやま−−− フッフッフ。
 ぶらぶらと北へ向かって歩く。水が速い流れの川があって、しばらく見ていた。その語、駅へ向かってひたすら南下する。なかなか風情のある街並。駅前は公園。とにかく人が見る。日本人が一人でぶらぶら歩いているのだからナ。ステーションに入り、ホームを確かめてから時刻表を見た。参った。2/3本先迄の電気案内板は英語でデパーチャーなんて書いてあるけど、1日の印刷してある方はキリル文字。ソフィアとカザンルクはわかるけど、その上に書いてある振り分けの意味が分からない・・・。とりあえず写してきた。帰りの駅前タクシー20レフを50もとりました。抗議しても全くだめ。おっさん。50円だと思って払った。だいぶ腹が減ったれど、気分が悪いけど、でも怒ったら疲れるので、静かに帰るろ。50円やんか。右も左も誰も英語だめ。ちょっと日本へ帰りたくなった。

 写して帰った時刻表をフロントのお姉さんに聞きましたところ、**が現行だそうでございます。13:31に乗って明日はとりあえずカザンルクに行き、リラ・ビョローでTAXIの紹介と祭りの件(本当にカザンルク7日、また、カルロボないのか)、ホテルの件を聞いてみる。
 そとはずーと騒がしい。ここはタウンセントラル(広場)なのですって。その広場の人がどんどん集まってきて、子供は遊ぶし、年寄りも、若者も、にぎやか。よお しゃべってはる。ロビーからリフトに乗ろうとすると、小学生にどこから来たか聞かれ「日本」というと「OK」だって。何んでや。習いたての英語がうれしくて仕方ない様子。「あんたらリフトで遊んでるの」と一応英語で聞くと「?」「UP!」だって。ざまみろ・・・いけない私。江戸の敵を長崎で討ったって、、あのおっさんには何ともひびかん。
 外の明るさと賑やかさに、すっかり惑わされていたけど、もう、20:30やった。もうねようかな。明日は誰も起こさんとってや。チェリー食べたからお腹が空かない。

6/4(火)
 どうしても6:00には目が覚めます。日本時間で13:00だから、そんなもんか。窓を開けて横になってたけど、お腹が空くので、ごはんを作ることにした。今から用意しても、1H後なので丁度いいか。支度をして、みそ汁もごはんもできたら8時。お掃除に女性二人が来たので、ランドリールームはないかと聞いてみた。とにかく互いに言葉はわからない。身振り手振りで通じ、やってくれることになった。20レフつまり20円払った。

 10:00身支度をして出発。まずレフスキの生家へもう一度行きます。ビデオに納めたいので。今日はちゃんと25レフ払いました。ビデオに撮った後、昨日さがして見つからなかった、四つ葉のクローバーをさがす。どうかありますように。あった! すごい! ありがとうございます! シフスキの庭の四つ葉のクローバー。押し花にして、先生にお送りしたい、心でした。でも、虫が食ってる。ここはすごい虫食いの葉が多く、この四つ葉もそうです。もう少しさがしてみよう。無い。陽がさすので、昨日もさがしてると、日射病になりそうだった。とりあえず、これを押し花にして、明日、また探しに来てみよう。小さなクローバーの花も、一緒に押し花にするため摘みました。ティシュにはさみ、本の間に入れたけど、なかなか上手に葉が開かない。少しでもきれいにと思うけどよくない。ちょっと残念。
 心残りでうろうろしていると、2人の少女が声をかけてきた。プロディフから来たそうで、一人はマグナレダ、もう一人の名前はわからん!。なんべん聞いてもわからない。写真を撮ってくれと言う。しばらくおつきあいをしました。15−6才。生粋のブルガリア人でないかもしれない様子。

 別れて、わたしも、さあ、カザンルクへ。とにかく行かないと、ローズフェスティバルがわからない。聞く人間の全てが言うことが違うのである。
 駅まで20分ぐらい。歩く。少し(1.30H位)時間があるので(13:31の列車)、切符を買ってから、構内にあるカフェーで7upを飲む。ウエイターは一生懸命英語の勉強をしていた。英語で話しかけてくるが、とにかく訛がすごいので、私はますますわからない。でも、何とか話はしましたけど・・・1時間粘って、1時を少し回ったので、ホームへ。アイスクリームを売ってる。とにかく暑いので、買ってみる20レイ。SUEちゃんがいたら泣いて止めることでしょう。おいしい。ジプシーの子供がうろうろしている。

 ここは3番線とか4番線とか電光板で表示してあるが、一体どれがそのホームなのか全くわからない。ざわめきが立って列車がいつのまにか入り、人々が移動しだしたので、アイスクリーム売りの女性に「カザンルク?」と聞くと、「そうだ そうだ」たぶん、と言ってくれた。乗る前に列車の横の車掌にもう一度確認。汚い列車でこれでは外も写せない。

 2等のコンパートメントは面白い。どんどん人が増えてきて、入れ墨をした若者は、小さな小さな蛇を連れていた。はじめはびっくりしたけど、本当にかわいい。かまないか?と聞いてから手にのせてもらった。私も蛇もちょっと緊張している。でもとても美しい蛇で、彼はすごくかわいがり、大切にしていた。

 6人がけのコンパートメントは満員になり、他の部屋からも、蛇や私を見学に来る。帽子を回すべきか。
 ここでもフェスティバルのことを聞くと、6・7・8だとか、いや9日だとか色々。もう結構でございます。
 カザンルクについて駅前からTaxiに乗りシプカ峠へ。往復2000円。ここのTaxiのメータはすごい。どんどん上がる。

 帰りにバラ畑を聞くと、もう、摘んでしまった後とのこと。彼も探してくれているみたいだった。「Rose!」と叫んで止めてくれたのが沿道に残っていた、まだバラがたくさん咲いたままの畑。わーい、これだこれだと外に出ると、彼は一本摘んでくれた。すごい香り。これは確かに香料になります。お父さんに石を拾い、さあ、ホテルカザンルクへ。

 着いて、レセプションで訪ねると、バラ祭りは7・8日だという。2night予約しました。とても親切で気持ちの良い女性。美しい。優しい。シプカモナスティルが急な階段だったので、だいぶ疲れた。
 道路の向かい側にあるホテルRosaのカフェでコーラ2本とチョコレートケーキを食べました。
 休憩してからぶらぶら駅へ。しまった。4分前に急行が出たところで、あと2H30Mないのです。
 仕方なく待つことに。その間日本へTEL。19:20やっとつながる。日本は夜中の2時過ぎか・・・。ごめんねPaPa。17:00にかけようとしたら、オペレーターが来てないとか言われて、2時間後に来いと言われたのです。日本はミッドナイトだと言ったんだけど。

 ともかくもうめちゃ疲れたので、ドライバーの言うとおり、2000レバでカルロボへ行ってもらうことにしました。ところが、奴はカルレペという所へ連れていき、「ここじゃない」というと、「ここだと思った」という。「どうすんねん あほ。カルロボへ行け」と行って、連れて行かせた。結局3000レバ払って、もん2$やった。

 TAXIを雇うのが面倒くさいので、7日の12:00にここへ迎えに来て、カザンルクへ連れていかせることにした。
 すごい交渉が大変。お互い言葉がわからない上、肯定と否定の頭の動きが違うのだから。「DA」と言って首を横に振る。「NE」と言ってうなづく。 わからなーい!
 部屋に帰って、熱−い、熱−いシャワーを浴びて、トマトをかじって寝ました。10:00
 今日は長−い一日だった。ま、ともかくバラ祭りを見に来たブルガリアなのだから、目的に大きく近づいて良かった。

6/5Jun(水)
 とても、とても、とても、疲れています。ほんとにしんどい。珍しく8:00まで寝ました。よたよたと起きて、ともかく、朝ごはんに一昨日買っておいたクッキーを食べる。鼻水が出るので、ベンザを飲んだで横になった。お掃除の女性に又、20レバで洗濯を頼む。10:30まで横になり、ミネラルフォーたーを買いに。12:30ご飯を作って食べ、眠る。目が覚めたら15:00。お腹がすいているので、朝作ったご飯を食べる(白飯に大根葉とさけをまぜた)。さけは、もう、臭うので1/3残ってるけど捨てた。
 とてもさっぱりして起きられた。トランクの整理をして、今日は1日休息日です。
 夜ね、昼に買ったジャガイモを湯がいて、つぶして食べた。めっちゃおいしい。今、一平ちゃんの焼きそばを作っています。今日は、くっちゃ寝の楽しい一日。焼きそば食べたらお風呂に入って寝ます。

6/6Jul(木)
 今日は、プラディフ行きはやめようかなと思っています。いずれにしてもレセプションのお姉さんに、汽車の時間を聞いてみると、新しいタイムテーブルを聞いてあげると言って、いろいろと親切にしてみてくれたが、電話がつながらないので、結局行ってみるか、バスかにすることに。バスストップを聞くと、100m程だと言うけれど、地図を書いてくれと言うと、何とカルロボのマップを出してきた。最初の時に、違う女性に聞くと、無いと言ったぞ! これが欲しいというと、「15レバだが、あんたにはわからないと思う」というので「いい、いい」と言って、買った。このホテルの場所は?と聞くと「小さいから載ってないが、この辺」だと言うので印を付けた。お金を払おうとすると「ほんとにわかる?」と言うので、「OK OK」と言うと、笑って5レバお釣りをくれた。さて、ソポトへは4キロの道のりだという。プロディフへは60キロで毎時発とのこと。どうするか、少し休憩してから考えよう。ちょっとしんどいから。

 ソポトのゾラフの家へ行くと、大勢の子供たちが来ていて、声をかけてくる。12才と言うから小学の6年生ぐらいかな。課外授業できていて、先生も大らか! 記念撮影をしあい(私も向こうのカメラを押してあげました)、住所を教えろと言う。日本語と英語の両方で書けととのことで、TELNoまで、どんどん次々書かされました。写真を送れというので、住所を書かせました。

  Bulgaria Plovdiv Lista CenchDIVo18 School G B6nkovsky Class6

 そして、何と彼らみんなで、壺を買ってプレゼントしてくれたのいです。嬉しかった! これ、とても良い匂いがするのはなんだろうか・・・。
 明日はカザンルクに発つ。お腹が減ったのでご飯を作ろう。なんだかあんまり食べたいと思わないので、見回してみると、ふかひれスープがありました。全部食べきれないだろうけど、これだったら食べたい。できるまで押し花を作っていたら、もう9:00。でも外は中学生くらいのがたむろしている。フカヒレの中にご飯を入れて雑炊を作った。ウーン うまそう。乾燥ネギを思いっきり入れると、ああ、もう食べるぞ!
 このたび、スプーンもナイフも入れ忘れた私は、しゃもじですくって食べることにした。下でビールも買っていたので、ああ、おいしい。ふと外を見ると、あのガキ共様がこっちを見て(ぎょぅさんで)「おお日本人が食ってる、食ってる」なんていってんだろうか!もっといて、負けへんで。しゃもじで食べるのを見て、日本人はみんな大きなスプーンで食べると思うだろうな(教科書に出たらどないしょ)。でもとってもデリシャス!あげへかんらね。
 このままだと日本人における誤解が生じると困るので、梅干しを箸で食べるところを見せてあげよう。注目してるぞ。ほれ、こうするのじゃ。セロリも、それ、こうつかんで ん! 見たか、見てる。よしよし。それではもう向こうを見なさい。人が食事しているところをじろじろ見るのではない。行儀が悪いぞ。 といいつつ、私はぺろりと食べました。あーあ、おいしかった。満足、満足。

6/7Fri(金)
 昨日は久々に胆石が痛み、夜中に坐薬を入れた。多分久しぶりに大食したのと、フカヒレスープの油が悪かったのでしょう。でも激痛ほどではない。昨日、中学生がわんさとここに泊まって、夜中まで騒いでいた。壁をたたいたりするので、よく目が覚めた。上か下かのおじさんがドアをたたきに来て、怒鳴っている声で、又目が覚めた。それから静かになったかは知らない。

 朝もにぎやか。若いから元気やねえ。8:30まで、粘って横になっていたが、もううるさいと、起き出し、カーテンを開けたら、鈴なりになって見上げている。
 10:30チェックアウトをして、12:00迄大丈夫だというので、少し横になれました。とにかく、良い人と出会い、良い旅をして、目的の民族音楽に出会えるよう、祈った。

 もう一度、レフスキの家へ行って四つ葉を探してみたがだめでした。本当に貴重だからこそ幸運をもたらすというのだね・・・。
 12:00にTAXIが迎えに来て、一路カルロボへ。全部ブルガリッシュはわからないと言うのにズーッと説明してくれる。ロバはマガーレ、馬はコーレ、犬は・・忘れた。途中、脇道にそれて、サクランボがいっぱいの道に止め、どんどん採ってくれる。おいし−い。おいし−い! お腹が減っていたのでこれで一杯。カフェにも寄って、コーラをおごってくれる。
 怖そうなおじさんが出てきたが、良い人だった。その人のすすめで、バラの油の工場へ。静かで何ともいえない村。ものすごい数のバラが袋に詰めてある。写真を撮るなと、21才の御曹司がのたまわりました。シカゴの学生だそうです。バラのオイルが10$! 1本だけ買う。あまりに高いじゃないの! あこぎな商売してはりまんなあ。

 ボテフの生まれた町に寄ってもらった。ここもとても大勢の人が訪れている。遊びながら来たので、時間がかかったが本当に楽しかった。バッグの中にはサクランボがい−っぱい入っている。

 ホテルカザンルクに入ろうとしてびっくり。何と日本人街と化している。うじゃうじゃと日本人がいて、3か前とは大違い。でも、すごく嬉しかった。日本語やんかあ。ドライバーに10$余計にやった。
 さて、ともかく風呂と思ったが、湯が出ない。多分時間制なのねと、とりあえず表へ。
 すると男性(大分の年齢だ)が廊下で大きな声で「私は一人旅をしています」と叫んでいた。「えー? 私もです」と言うと「あ、ツアーのメンバーではないのですか?」と言うことで、エレベーターを一緒に降りて行ったのですが何と71才で5回もガンの手術をしながら、3月に日本を出発、10月までがんばるとのこと。何週間か前ベルリンでバウチャーを半分無くして大変な思いをしたが、ポーランドのワルシャワで色々手配をし、もう日本へ帰ろうと思った。もう、俺はこれで終わりだと思ったとのこと。けれどクラコフへ行ったら、街はすばらしく、人々も暖かかったので、息を吹き返したとのこと。でも何とすばらしいことでしょうか。71才! ガン手術5回! フェスティバルの後、お米を2合炊いて、お寿司を作り出会いを祝った。3ヶ月ぶりのご飯だとか。喜んでいました。私はビールとハムをごちそうになった。

 彼のお隣の部屋に泊まっていた近ツーの人が、私がお寿司を運んでいると、「ルームサービスであるんですか?」とびっくり。毎日とても口にできるものはないと嘆いていたので、お裾分けをしました。梅干し入りのおにぎりも(お焦げが入っている!)3ヶ作り1ヶ差し上げ、あとはかくなが?氏に置いて帰った。みそ汁と海苔も。久々に日本人と話ができると喜んで11:30を過ぎても、まだまだと言って帰えしてくれない。12:10にもうお休みなさいと帰ってきた。ちょっと疲れました。

 フェスティバルもすばらしいものでしたし、ビデオ、フォト、とりまくりで、レコーディングもしまくり、地元の人々のカメラへの熱いまなざしは、そのまま私への厚意となり、優遇され、私はラドスチナという12才の助手迄出来、彼女は舞台の脇まで行って、写真を取りまくり。よくやった。ローズクイーンもめっちゃドラマチックな? 登場をし、最後は参加者出演者入り交じったダンス。
 楽しい、楽しい、一夜でした。
 広場の祭りは終わっても、その後、番外のミュージシャンが、別の場所で2:00位迄、ガンガンの歌いまくり。安定剤を飲んでぐっすり寝た。


6/8 Sat(土)
 6:30目覚ましが。やっぱりとても疲れてる。ぐずぐずしながら用意をし、8:00 録画・録音の準備 バッチリ。さあ、ローズピッキングに出発。レセプションのお姉さんは、勝手に行けと行っているが、ホテル前には迎えの車が一杯。あれのどれかに乗れるはずだ。
 だが71才が来てない。えーー?と思いつつ、3Fに行ってノックしたが応答なし。降りてきたら車が殆どいない。えー! ウロウロしていると、ツアーの添乗員のお兄さんが、自分とこの車に乗せてくれるよう手配してくれた。ありがとう。と思っていたら、何とその車の中から、例の71才が「おーい、ここ、ここ」だと。ええかげんにせいよ。

 何とか無事にピッキング会場に辿り着き、降りると、前触れの音楽が終わった。口上が述べられ、今年の、ま、ピッキングクイーンとでも言うのか、美人の少女が紹介されて、いよいよバラ摘すが始まりました。これも本当にすばらしいものでした。きてよかったあ。来させてくれてありがとう。帰りにバラ博物館に寄り、(車はフォークダンスクラブの人たちのツアー専用車なので)日本語ガイドが付いていてラッキー。メンバーの人たちと仲良くなりました。

10:00いったん部屋に帰り、熱いシャワーを浴びて、一休み。
12:30にピクニックと称するランチ付きの何かがあるという。28$だよ。どこまで行くんだろう。ところが、前のホテルのローザの中庭であるとのこと。??
 カメラもビデオも持たずゾーリで71才と出かけました。これが失敗。フォークロアショーであったのだ。しかも、私たちの席は特別席だぜ。仕方ない。飲み放題食べ放題でビール2本とワイン半グラス飲んだところで、突然引っぱり出され、一緒に踊れと言う。皆出てきて踊っていたが、一番偉いおじさんが、私に真ん中へと手を引っ張り、二人で真ん中で踊る羽目に。それまで、仕方なく、いい加減にしてたのに、それ、もっと、足をあげい、都下、言われて、草履のまま、大切にしている右足も何のその、踊りまくり。許してくれへんねん。でもいい汗かきました。

 部屋へ帰り、足の治療をして、シャワーを浴び(ほとんど水)、2H程ねた。

 今日は7:00から、又、祭り。一番前の正面に陣取り(現地の人が行け行けと開けてくれるのだ)、どんどんとりまくり。周りに子供たちがやってきて、助手はする、話しかけてくる。バラを持ったおばさんたちが花をくれる。サービスにビデオを向ける私。祭りも終わりになる頃、ラドスチィナ母子と再会。ラドスチィナは又カメラを持ってとりまくりに行っていた。終了後3人でコーラを飲みに。ラドスチィナには紙風船をあげた。
11:00別れを言ってホテルへ。 明日はいよいよブカレストへの移動なので、しっかりと荷物をパック。重いぜ、これは。どうしても二つにはなる。どうしようか。お風呂に入って寝ようとすると、これが水。あんまりや。シャワーを浴びるだけにして、とりあえず寝ます。
 12:00まで、ロックをやっていて、若者がすごかった。外では昨夜の番外がまたやっている。2:00。

6/9 San(日)
 
 8:00迄ねる。ぐっすり寝た。途中「***さーん」と言う声を聞いた気がするが夢うつつで寝てしまった。後で、71才だったかとも思う。今日はベルコタルノボへ行くと言っていたので、別れを言いに来られたのだろうな。昨夜差し上げようと分けておいたものをドアの前に置きに行く。お元気に良い旅をされますように。
 11:30過ぎる頃広場に行列が。空にミンコプターが飛びバラを捲いています。祭りは今日が本番なのだろう。心がゆれたが出発することに。
 チェックアウトに降りると日本人の男女二人ずれ。海外協力隊で、女性はベルコタルバに、男性はポーランド ルブリンでいるそうだ。そして、この二人が大変な協力をしてくれて、私は荷物に悩まず、ソフィア行きの列車に乗り、途中で席も確保してもらい、二人が降りた後は、悠々と眠りながら、ソフィアセントラル迄着いたのでした。
 降りるときもおじさんがトランクを下ろしてくれた。ブラゴダリア! ところがエスカレーターはあるが動いていない! おーい。意を決して二つを持って降りていくと、下から女性が走って来て、手伝ってくれた。ブラゴダリア! 
 厚く礼を言って歩き出すと、一人の変な兄ちゃんが、ノープロブレムと言って、荷物を持ってどんどん行く。人がたくさんいるので、ま、いっか、と思いつつ行った。トランクルームだぞ。無事到着。5$だって。くそくらへ! 1$やった。
 バゲージルームで1$払い、チケットを買った。又、兄ちゃんが付いてきて、それは違うと行って別の窓口へ。あ、本当だ。1クラスのスリーピングカーのチケットを買うことができた。24$。安い。兄ちゃん、又、5$だって。あほう。1$やる。後で、あの荷物を列車まで運んだら5$やると言ってやった。

 駅をぶらぶら歩くが、がらが悪い。地上に出るとお腹が減っていることに気づき、駅前のカフェでサンドイッチとコーラを頼み、外のテーブルで食す。
 3日間たまっていた日記を書いていますが、列車の時間が22:40なので、6:00から今20:00です。2H粘っています。
 4人の若者グループと懇談・・?をして、彼らが何才なのか聞き出すことに失敗。
 ブルガリアからどうしても葉書を出したいが、今日は日曜日で、ポストオフィースがあいてないので、切手が手に入らない。
 TAXIに乗ってシェラトン迄行ってみたが、全くだめで、泊まり客でないとだめという。トイレをしっかり利用し、顔も洗ってビジネスフッキングのフロアのどっしりしたソファーで休憩。

 21:30にソフィアのセントラルステーションへ。中は灯がついているのだが、外から見ると何とも薄暗く、入るのが気味悪い。入ってみればそんなことはないのだけれど。そして、何とオペラのアリアが構内に流れていて、ちょっと無理してるかなと言う感じ。
 車内での飲料水など買い込み、5$、5$と言う奴に荷物を持たせて乗り込んだ。チェンジのところが閉まっていたりしたので、そいつが、10$と連呼するし、どうせ持って帰っても使い道のないレバだから、奮発して1500レバやったら、大喜びでキスしようとするので、お断りしました。

 列車はほぼ定刻の22:40に発車。車内も過ごしやすく、蒸し暑かったのも走り出すとさわやか。そして満天の星が何と感動的だったことか。

6/10Man(月)
 早朝5:30ブルがリア国境駅 Ruse 着。にぎやかにコントローラーが来、パスコントローラーが来て、一人曰く、「You speeking English ?」 「a little」というと「You frome コーメ?」と来た。「? コーメ?。ああ、from Japan」。「fun」と言って去る。コーメはドイツ語だろうが。
 Ruseで少し長く列車が止まっていたが、理由はどうも一人の青年が何かもめていた様で、彼は結局ルーマニアのギルギジュラ(国境駅)で降ろされてしまった。可哀想に・・・。

 ところで私はRomanan Visaが無い故か飛行機(ルーマニア・オトペン−−>プラハ)のバウチャーとパスポートをおじさんが持っていったままですが・・・。
 7:30 やっと、バウチャーとパスポートを返してくれ、「サョナアラァ」だって。
 そうしていると、隣のドアを叩いて、「ルーマニア」と言う声。いよいよルーマニアのパスポートコントロールです。いや、そうではなくて、パスポートにほんの小さな紙切れがはさんであった。表には私の名前と、ナショナリティー、パスポートNo。?で思わず裏を見ると、ギルギジュと日付が入っている。これ、ヴィザ? 知らんかった。無くしたらどないすんねん。怖いとこやわ。ええー。
 パスポートコントロール無事通過。
 トランクを開けさせられ、米のは言った袋を「何か?」と聞かれたが「イート」 ミールだったかな、と言うと「Ah」と向こうへ。
 いくらドルを持っているかと聞かれ、ポケットの金を出して(50ドル位)見せると、もうええわという感じやった。良かった。2000ドルって言われへんわ。それにしても、入り口のお金は全くとられなかった。ありがたや、ありがたや。
 もう1Hもしたらブカレストに着くので、一休みしましょう。今8:00。

 ブカレスト着9:00。荷物はすぐタクシードライバーが。ミネルバの場所がわからず、乗り換えてやっと着いたが満室。
 荷物を置かせてもらい、腹ごしらえに。ドルをレイに換えたら、60ドルで何とめちゃな札束。 マジェスティクホテルでランチ。ビール、ミネラルウォーター、オムレツ、サラダ、コーヒーで15ドル。一流ホテルでこれです。
 ここで、ブルガリアからの四ッ葉を入れた手紙を発そう。
 暑い、死にそうなくらい。
 12:00キヤピトルに行くと、朝のつっけんおばさんがいて、シングルもダブルも無い(!)アパートメントなら125ドルであるよ、だという。125ドルです! 態度も悪いし、私が125ドル!と叫んだら、鼻でせせら笑うのよ。
 そういうわけで、私はちゃんとしたシングルルームに泊まるため、キャピタルから歩いて2分筋向かいのコンチネンタルに150ドルで3日予約しました。
 日本へTEL。もういくらかかっても構やしない。やけくそだい。パパとSUEちゃんで10分ぐらい話しました。

 熱いお湯を浴びて、ぐっすり眠り、食って寝て、休養さ。ブカレストは何にもないんだから。TVも久し振り。洗濯もして、ベットで大の字。ああ、このホテルの豪華さ。お湯も水も最初出なかったので、慌てたけど、ちゃんちゃんと出るようになったし、ミニバーもあるし、風呂に2回入って、明日の風を吹かしましょう。

 ところで、ベルボーイに5000レイあげたら、めちゃくちゃ喜んでいましたが、何故?全く態度が違うのはWhy? 約165円ですぞ・・・。駅のタクシーは10ドルとった。荷物運びの兄ちゃんは1ドルとった。ここの宿泊料は1night 65ドル。そこのベルボーイが・・・? ブカレストは不可解な街です。

6/11Thu(火)
 むちゃ、ゆっくりしたので、元気回復オロナミンC。ちょっとその辺をぶらつきます。
 朝から風呂に入って。朝食込みなので嬉しい。買い物はアクセサリーをした。SUEちゃんにブレスレット。ONTのオフィースまで歩いて行って、ツアーを聞いてみるが、無いという。マラムレシュ迄ならTrainがあると。知ってるよ。だけど大変だから聞いてんでしょうが。ラプソディーシアトルもクローズしているのだとのこと。気の毒そうにしていた。ま、もう一度部屋に帰って考えよう。
 あと百貨店も見て回ったが、ブルガリアよりも品揃えがある様。びっくりしました。
 お水(ガス入りしかない)を買い、ハイネケンの大きなボトルを買って部屋に帰り、風呂に入ってから、飲みながら、ガイドブックを見る。夜、おこわごはん。やはり、マラムレシュに行こう。

6/12(水)
 今朝でチェックアウトしたいと言っておいたが、結局、3泊したことになった。それでも、今夜お風呂に入れないので、19:00にチェックアウトすれば、入ってから行けるし、11Hの旅だから、ま、いっか!
 土曜日までバゲージを預かってもらえるようになったし、ま、いっか。
 朝ごはんを9:00に食べて、パッケージも済ませ、バゲージを部屋に置いて、まず、 農村博物館へ。大通りへ出て、TAXIを拾い、とても良い青年。
 農村博物館はとても良かった。ビデオで見ましょう。
 帰りは歩いて、メトロ駅へ行き、切符を買って、1駅目のビクトリア駅で乗り換えて、ガラ・デ・ノルドへ。立派。CFRでバイアマーレ駅の切符を買おうとして、ちょっとウロウロ。Classaという窓口で、スリーピングカーは9だと言われ、9の太ったおばさんは、スリーピングカー付きはバイアマール行きには無いと言い、6へ行けと言う。
 そこで結局、1クラスの切符を手に入れて、横を向くと、男女二人ずれの日本人らしき人が・・・。
 あのー、で、日本人ですか、から始まり、珍道中の開始です。一緒にバイアマーレまで行く事になりました。M.MさんとY.Mちゃんです。エジプト・トルコを回って入ったそうです。
 3人でルーマニアコレクションMUSEMを探して、見学。どういう基準で展示してあるのか少し不可解なほど、各国入り乱れ状態で頭がこんがらがります。

 のどがからからで、歩きながらカフェーなど探すけど、これがない。とうとうコンチネンタル迄歩き続けて部屋に転がる様に入って、ビールとスブライトなどがぶ飲み。身体から水分が蒸発していく!とわかるのです。
 お風呂に入って、チェックアウトし、いよいよ マラムシュ地方バイアマーレへ出発。11Hの旅です。彼らも荷物をとってコンパートメントへ乗り込むと、何と6人掛けの6人ぎっしりで、夜は寝れる状態でなさそう。向こうのルーマニア人(?)も、”no good”など言ってる様子。
 動き出してから見に行くと、がらがらの部屋もあり、そっちへ移ることにした。3人で「ワーイ」と喜んで、すっかりシートもベット状態にし、ルンルンしている次の駅で、「I’m sorry」とおじさんおばさんがやってきて、私たちが「ごめんなさい」と言って、又、あの3人組の所へ戻ったのです。
 その一夜は本っとに、きゅうくつ千万でしたが、おもしろかった。私の前のでっかいおじさんは、ベットにしようと切り出せず、落ち着かない様子で、私は「いやよ」と思っていたけど、あんまり気の毒なので、許してあげることにし、シートを引いて、「Please」と言ってあげたら、一度目は「いやいや」などと、かわいらしくしていたけど、「いいよ、いいよ」とすすめると、思いっきり横になって、そく眠りだし、いびきをかいてしまいました。

6/13(木)
 朝5:30になったら、さっさと起き出す勝手な奴。ほんまに、Yもほとんど眠れなかった様子。可哀想に。
 さて、8:30を過ぎて、バイアマーレに着き、シゲット行きのバスの時間と帰りの汽車の時間を確認。バスは11:30があるとのことで、とりあえず食事に。スープとパンにしたが油っぽくなくて。とてもおいしかった。
 ジプシーの男の子が一人ウロウロと寄って来る。顔に大きな傷跡。とても切なくなる。お願いだからこっちへ来ないで。悪いことをしている気持ちになります。
 この食事2800レイというのは約84円、か・・・。エクスチェンジが無くて、二人がだいぶ歩いてくれた。向こうへ見に行くというのを私が隣のテーブルにいた男性に聞くと、ここにはない、セントルだというので、二人を呼ぶと、その人は二人を連れて、バスに乗り、チェンジ後、元の場所行きのバスに乗せて、自分は仕事に行ったとのこと。すばらしい!
 無事私たちはバスに乗り、2Hの道をうねうね。二人は英語でしゃべりまくるシゲットの少年?につかまり、ずーっと話していた。私は隣の男の子が話かけてきても、わからないと首を振って、すぐ寝た。
 シゲットまでの眺望はすばらしかった。二人はまだつかまっている。
 駅前でTAXIを掴まえ、この街一番のホテルティサに投宿。1泊55300レイというから、18ドル弱のバルコニー付きのすばらしい部屋で、とてもきれいで清潔。とにかく荷物を置き、TAXIを掴まえ、サプンツア村へ。
 道が悪い。それでも、私は又ねようとしている。
 ひなびた、嬉しくなるような村に着くと、教会の方へ折れ、教会前にいたおじさんやおばさんが、来た来たという感じで、笑いながら話している。
 入場料、ビデオ代までとられましたぞ。
 さんざん遊ぶ。編み物上手だったお母さん、働き者だったお父さん、野良仕事を良くしたよ、料理がとっても上手だった。3人の子供と仲良く暮らした。消防士だった人、炭鉱、警察、書記、坊さん、裁判官、一目で生前の職業や暮らしぶりがわかる、絵入りのお墓
 何ともユニカで興味深い。世にも珍しい場所。中には、まだ小さな女の子が交通事故で死んだとか、若者が電車にはねられた、二人の子供のお母さんが、工場の火事で、亡くなったとか悲しい様子もありました。
 3人でこれでいいねと話しながら外に出ると、IeCreamがおいしい。これが又濃い。おばあさんのお手伝いをしていた地元の少女にも買ってあげたら、とても嬉しそうにしていた。
 アイスを食べ、土産物を見て、ぶらぶらと田舎道を歩いて変える方向に行ってると、ミニバスからちょうど人が降りるところで、シゲットまで一人40円ぐらい。荷物入れのような窓もない堅いシートの上でゆれること30分、酔いそうだった。

 ホテルまで10分ぐらい歩くところで降ろされ、道々、ハムを買ったり、野菜を買ったり、今夜の宴会の準備。とにかく日本人は見せ物です。
 部屋に帰り、風呂を浴び、一眠りして、ご飯を炊きかけると、ヤスミンがミネラルウォーターなど買いに行ってくることに。ノンガスがあったらよいが。
 待つこと1Hあまり、帰ってこない。ご飯も炊けましたが、どうしたんだろうと、少し心配で、バルコニーに出てみる。二人で行ったのかなあ。
 するとノックがして、やはりジプシーの子供につかまり、両手を一人づつに押さえられ、3人目が袋をかぶせ、何が起きたのかわからない内にウエストポーチをとられてしまった、とのこと。両腕にひっかき傷を創っていた。可愛そうに! 何て事をするのだろうか。3人共怒りで、折角楽しみにして来たこの村に失望していた。
 気を取り直し、ソーセージ、ハム、ジャガイモのゆでたの、キャベツとキュウリの塩もみ、トマトの輪切りと、固くておいしいパン、そして、何よりおすしだぜ!
 その上におこげと梅干しの海苔巻きおにぎりとみそ汁と来ると、日本人3人ルーマニアのウクライナ国境の近くで、生まれてこの方初めて会ったお互い同志が、ここでこうして日本食をほうばり乍ら、夜を共にする不思議を思った。
 ビールを飲みながら12時頃までわいわい。ブカレストの駅で声をかけ合い、心が投合しなければ、今は無い。どんな巡り合わせだろうかと。日本に帰っても絶対会おうということに。お互いが喜び合える出会いは、そう、ざらにない。
 部屋に帰るとき、マーシーが、この窓、このカーテン、この風、まさに、ドラキュラの世界ですねと言い残す。おどかしているな。こわくは無いわい。


6/14(金)
 私達はとにかくテイサ川まで言ったら、もうこの村を出て、さっさとブラショフに行こうと言うことに昨夜なっていて、朝食を食べに下へ降りると、ロビーの天井から水が滴り落ちている。朝早く二人の部屋に「プロブレムな事が起きた」と訪ねてきて、部屋を見、「ちゃうなあ」と出ていったとのこと。大変です。
 食事をしているとジプシーの女の子が入ってきて、物乞いをする。手にキスしたり、「ママが病気なの」と言ったり、とても悲しそうにしている。私達も悲しい。何もあげられない。何もしてやれない。こんなところでぬくぬくと飯を食ってる自分、旅行を続けている自分に怒りや、懐疑や、がごちゃまぜに悲しい。
 この村に来る時、バイヤマーレの駅前で食事をしたが、あの素足の顔に大きな傷跡のある少年に、私は食べ残しのパン2つにソーセージをはさんで、あげました。チェンジに行った二人の残したごはんや(おかゆ状)、肉をくれと言ってきたのです。すごく迷ったけど、これは捨てられるであろうもの。でも、その捨てられるであろうものを他人にあげてよいのか。胸が引きちぎられそうでしたが、そんなことはきれい事に過ぎないと、自分に言い聞かせ、黙って、思い切って、そのサンドイッチを作って、あげました。
 周りでは、きっと、現地の人々のいろいろな思いがあったと思います。そんな事をするから、ジプシーがこのあたりから去らないんだ、など・・・。きっと、迷惑な事だと思う。
 ブルガリアのカルロボでもホテルの隣のショップで陶器を見ていると、入り口に、ぼろぼろのおばさんがやってきて、美人のとても良い人の店員さんは、大きな声で激しくののしりながら、お財布から小銭を出して、やっていました。彼女もきっと、とても切ないのだろうと思う。いつも、あのおばさんは来てるみたいです。その度に、彼女は怒りながら、けど、あげずにいられないのでしょう。でも、その自分に人は哀しいのです。


 ホテルを一歩出ると、昨日とうって変わって、街はとても賑やか。どうやらがたってるみたいで、私はルーマニアといういでたちの人達がぞろぞろ歩いている。もう3人とも興奮状態で、ビデオ撮りまくりーの、カメラ向けまくりーの。
 人々はカメラ自体が珍しく、ビデオは殆ど知らない。ビデオを向けると、立ち止まって顔をくっとしめ、ポーズを作る。あげくに、それを送ってくれ、と住所をくれたおばちゃんがいました。2人もあっちこっちでつかまって、アドレス交換していたようです。
 3人共、昨夜の心はすっかり晴れ、もう喜びぬいて、ウハウハと息する犬の様に市場の中をうろうろ。やっと、外へ出て、昼御飯を教会の前の広場で食べようとしましたが、ここでも、若い人達に囲まれ、写真を取り合って、アドレス交換。
 私は少し疲れたので、ベンチで寝ころんで、青空をみていると、気をつかったのか、グループのだいぶ若い男の子が写真を撮ってくれました。ありがとう。今日は彼らの仲間の誰かが結婚式を挙げたのですって。昨夜作ったサンドイッチは腐っていました。でも、ハムや野菜のついていない上の皮はとてもおいしかった。のどをうるおし、そして、ティサ河へ行ったのです。
 30分近く走って着いたティサ村、ティサ河はとても感慨深いものがあった。来たなーと3人で、ウクライナ側の山々を見ながら嘆息。木の間隠れに車はばんばん走っている。花を摘んだり、石を拾ったりしていると、マーシーが「こうなると向こう側に興味が湧きますねえ」とぬかす。雨もパラついて来たし、さあ、気にせず、かえろかえろ。あんたの好きなブラショフ行くで。
 シゲットの駅の帰り、丁度14:00?30のバスに間に合ったので乗る。18:20ぐらいの汽車だと言っていたので、本当に具合がよい。隣に座った14才くらいの少女が、窓側に変わってくれようとしたが、「良い良い」と言って、そのままで行った。気を使って、暑いのに、カーテンを見やすく押さえてくれる。紙風船をあげたら、嬉しそうにしていた。しつけの良い感じの良い子供でした。後ろに友達がいたようで突っつかれていた。少し話をして写真を撮り、住所交換。忘れず送らねば。
 3H後ブカレスト行きの切符を買い、ほっとしてバイアマーレの駅中でマーシーが買ってきてくれたパンにニンニクいっぱい付いた肉ロールの焼いたのを「おいしい!」と涙をこぼしながら食べた。周りの人達はしげしげと3人を見ている。おこげ入り梅干し海苔巻きおにぎりを2人は喜んで食べていました。あんまりおいしかったので、もう一度肉ロールを買いに行った。

 コンパートメントに入ると、2人の男性の老人と、若い女性がいた。最初はちょっとなじみにくそうでしたが、だんだん互いに打ち解け、色々な話をした。女性はアディナと言って、マラムシュに住む主婦のようだった。

 ニクは76才、元軍人、スペイン戦争などに参加、ハードな人生だったようだ。ギョルギョは84才、シンガポールに1942に行っていて、日本人がたくさん人を殺したと言った。そうです・・・。本当にひどい事をしました。
自分は日本女性と結婚したかった。あんたと結婚して東京に住みたいと、のたまうので、「主人と子供が大阪で待っている」と言うと、「じゃ誰でも良いから日本ガールと結婚して東京で住みたい」と仰る。夢があって良いなあ。84才だよ。まだまだ枯れてないね。見習わなくっちゃ。

 そのギョルギョが私の履き替えた草履を見て、それはいくら位するかと聞くので、思わず正直に「3000円」と言った。ルーマニアのレバにしていくらかと言うので、2人に「正直に換えて言うと大変な額だよね。どういおうか」と相談していると、「3000円はドルにチェンジしてどうなる」と聞いてきた。
観念して「30ドル位」と答えると、ルーマニア人3人の頭の中で素早くレバにチェンジされたのだろう、コンパートメント内は異常な沈黙を持った。
 10万500レバと言えば確かにルーマニアの人にとってみればすごい金額(昨夜のホテルはシゲット1番のホテルで1人5万3000レバ。この汽車は一等で、ブカレストまで1万レバ位)かもしれないけど、私達にとっては日本ではこの人達が買う日用品感覚なのだから・・・。

 ギョルギョは余程こたえたのか、ずっと、ぞうりを見ていた。ぼろぼろで、何度海外旅行に持っていったかわからない薄汚れた状態の、こいつのどこが10万5000レバもするのか。日本人はクレージーだと思っているのかもしれない。

 クラムシュ出身のアディナはルーマニア後を英語へバイリンガルで、ヤスミンは英語を日本語へバイリンガル。車内は色々盛りだくさん。ギョルギョの日本ガールから私の娘が24才になると言うと、ニクが「それじゃYouはいったいいくつだ?」とびっくりして聞くので「47才」というと仰天、「25才くらいだと思った」。言い過ぎやで。でも、ありがとう。
私の父が72才だというと、「とんでもないことだ」と大笑いでした。

 彼は黒海沿岸の街の歴史か何かを書いているそうです。私達3人は今夜を記念して、日本の歌を歌うことにしました。「ジャパニーズカントリーフラワー、さくらさくら」まず3人でスタンダードに一度歌い、2度目をマーシーがメロディー、私がアルト、ヤスミンが琴の演奏を口三味線で、練習もしていないのに、息ぴったりで、とても喜んでくれました。マーシーのビデオが液晶なので、撮してから見せると、びっくりしながらも、めちゃ喜んで、ギョルギョはトイレに行く途中、そこらのコンパートメントや通路の人に、「日本人はええ奴やで」と言い回っていたみたいです。
 ギョルギョは大きな駅に着くと、何やら買ってきて(カステラみたいなのでクルミが入ってて、すごいおいしかった)、皆に切り分けてくれました。車内をベットにしてねたけど、寒いし、私の持っていた毛布3枚分を出して、風邪気味のヤスミンとアディナとかけたけど、ギョルギョやニクには行かないので、ギョルギョにタオルをかけ、ニクにはホカロンをあげた。この車内は本当に寒かった。
 列車が駅に着く度、ニクが駅名を確かめてくれている。私も4:00着ブラショフというのが、どうも遅すぎると思っていたので、ほとんど寝ずに駅を気にしていた。

 ある大きな駅に3時頃着き、ブラショフじゃないかなあ・・・と思っていたが、ニクも何も言わない。すると、ギョルギョが私に「ノーブラショフ?」と聞く。「え?ブラショフ?イエス!ブラショフ、ウイアー、イエス!」と分けの分からないことを口走って、
3人で大慌てで必死におりました。
 これでわかっていなければ、次はブカレストです。名残を惜しむ間もあらばこそ、私は靴のひもも結ばず、窓から、アディナがさよならをしてくれました。
とりあえず、駅の構内がぬくいだろうと、降りると意外に人が多く、ちょっと安心。
しかし、ジプシーの何と多いことか。
 寒いし、座りたいので、レストランと書いてあるところに上がっていくと、何とそこはビンゴゲームの賭博場。断られたが、何とも哀れに思ったのか、マネージャーらしき人が席を作ってくれた。

 かくして、真夜中3:30、異国の賭博場で、延々と続くビンゴゲームをまことに不思議なる思いで眺めました。ヤスミンが「世にも不思議な物語りの話をするので、余計でした」
 どろどろと濃いコーヒーを飲み干し、目の前で、1000,200と立て続けにすってゆく人を見、もうもうと立つ煙草の煙に、へき易して、場所を変えることにしたが、下のレストランは座る所がなく、やむなく駅の構内で野宿状態。普通の人もたくさんいるけど、ジプシーもいっぱい。少し神経質になっているので疲れる。日本人が珍しいのだろう。脇ばによって来て色々言う。ヤスミンに笑っちゃだめと言う。

6/15(土)
 ヤスミンもとても良い人で「吃」とできないのだけれど、つけ込まれるととても危ないから心を鬼にするのだ。「毛布3枚分」を広げて2人で寒さをよけていると、皆で、見に来る。
 一人「私にくれ、金を払う」というおばさんが来たが「私達はこれが要るの」と断った。しばらくして又来るので、とても強く「NO!」と言うと二度と来ない。2Fでギタリストがギターを奏で、歌を歌い出し、しばらく続く。エコーが利いて良い。
ビデオもカメラも危なくて出せない。残念。
 しらしらと夜が明け、6:00になったので、TAXIで移動。ホテルアローパレスの裏手にある「アロースポルト」というホテルに彼らが宿を取ったので、私もとりあえず、昼12:00のチェックアウトまでとる。53000。熱いお風呂とベットて2Hほど仮眠。
 私は洗濯とビデオの充電もした。
 9:45にヤスミンが来て、10:15出発という事に。私はチェックアウトし、2人の部屋に荷物を置かせてもらって、プラン城をめ指す。TAXIで30分程かかった。とてもおもしろいお城。迷路のよう。2人と途中で別々になったけど、いつかは会うでしょう。
窓が多い。子供もいっぱい。悪ガキ達と少し遊ぶ。
ドラド伯という人は頭の良い人だったんだなあーとか思いながら、外に出たけど、2人はまだなので、前に少し高いところに上がる道があったので、そこで待つことに。

 私がその道を歩いていると、後ろから少女2人がついてくる。何もないよ。ここは。
私は石を拾おうかなーと思ってるだけなんだから。やっぱりすぐ下りて行きました。

 肌寒いのでトイレに行きたいなと思ったけど、あたりに無いし・・・。緑の繁みがいーぱい・・・。せいせいして、又、城を見下ろす所に帰るとヤスミンがいるいる。「おーい、Hello−」とか言うと「おーいって言ってるよ」。「ここ、ここ、カメラアングルいいよー」と叫ぶ。

 二人が上がってくる間に、花を摘み、真剣に石を捜して、はっと横を見ると、マーシーがじっとかがんで、こっちを見てる。「あーびっくりした」。「驚かそうと思ったけど、そっちが崖だったから、やばいとか思って」。こいつには城の中でも一度おどかされたんだ、くそ。

 今夜はここで泊まりたい、などと、ほざくマーシーを引っ張って下城。笛売りのおばさんから木村さんへ笛を買う。マーシー、笛吹きまくり、のりまくり。楽しい。

 外であわや毛皮を110ドルで買うところだったけど、思いとどまる。
 1日7本しかないバスが、目の前を行き過ぎかけたが、手を上げて(バスストップではない)、乗せてもらえ、1人30円ですんだ。ブラショフ?!の叫びが、車内で大受けしていた。

 17:30のブカレスト行きに乗るため、2人と別れる。良い旅を! 日本で会おうね!

 車内でねました。ブカレストの駅からメーター付きのTAXIにわざわざ乗ったのに、6050レバなのに前に1がついていると言ってきかぬ。「どこに!私には見えへん!」大げんか。

6/16(日)
 コンチネンタルホテルで、郵便を出してやるというので、それではとベルボーイに頼み「幾ら?」ときいたら「Mayby 5$」。何?!・・・「あんたの使い賃込みやね」と5$渡した。ホテルのTAXIは安全だから、インクルーズでペイして、送ってもらう。
 ドライバーに2$。TAXIからおろしてくれていると、何だかポーターが来て、カートに積み込んでいる。いらんよォ、そこまでやねんから。すると横から空港関係という風の作業服を着た奴が、「3000レバ」という。「ドルしかない」というと、じぁあ、あとでみたいな。まだプラハ行きがチェックインできなくて、中に入れず荷物を運べない。
 すると一人の作業服がやって来て、「1ドル」といので、ポーターに払った。そしたら、そいつがポーターに1ドルというのだ。何んで。ここ迄自分で運べる。頼んでへーん。私は昨日の6050の前に1がある騒ぎで頭に来ている、ブカレストに。ええかげんにせいよ。
 でも、そのポーターを見ていると気の毒で「じゃあ、プラハチェックインの時、荷物をベルトに乗せに来てね、といって1$渡した。来たらすごい。正直者だね。ブカレストで良い思い出だよ。
 しばらくして、お腹も空いたので、2Fのレストランへ。人の良さそうなおじさんが、「ノープロブレム」とか言って、注文を自分でさっさとしてくれた。サラダとパンとステーキが出てきて、おいしい。「Good!」と言って、喜んで食べる。コーラとミネラルウォーターと。
 さあ、食った。「ドルOK?」「OK、OK」そいで、勘定は何と24$。絶句。でも、もう、私は喧嘩する気力が出ず、お金を黙って払いました。こいつ、いくらポケットに入れるかなあ。それを思えば昨日のTAXIドライバーなんて可愛いものよね。

 下を見ると、あのポーターがプラハ行きの便のアナウンスの後、うろうろと私を捜し、いないので? という顔をしながら外に出ていった。
何て良い奴なんだ。善人だあんたは! 私は下へおり、外へ出て彼を呼ぶと、すぐ来てベルトに乗せてくれた。5$渡した。ねえ、お互いに感動ものだよ。あんたには訳分かんないだろうが。

 ここはチェックインをロビーでしない。治安が良くないのかな。ホテルへ行って、待てど暮らせど、案内がない。隣にいた 中国人のリーさんというアムに住む女性が2H程遅れると教えてくれた。何と言うこと! 仕方ない。

 10人近く若い中国人の男性を連れているので、「彼らは何?」ときくと仕事だという。皆で写真を撮って仲良くなった。荷物を持ってくれたので、とても助かった。

 プラハについた時には私が最後だったので、彼等は居ず、でも、イミグレーション前で、チェコ航空の人が来てくれていたので、私は無事プラハの第一歩を踏み出すことができました。

6/17(月)
 プラハの朝です。もう目が何度覚めるやら。ヴィラベティはマリアというマダムがとても良い人。7から10時までの朝食も、ハム、チーズ、サラダ、卵、各種パン、ヨーグルト皆とてもおいしい。私はパンを1個食べ、黒パン2切れに残ったハム、サラダをはさんで、ヨーグルトを持ち、昼ごはんに当てました。
 さして、お茶を持ち、いよいよあこがれのプラハです。昨日迎えのチェコ航空の車から見ただけでもうプラハでした。美しかった。
 空港でチェンジマネーしていたので、スカルカのメトロで、切符を1枚、10コルナX10買い、意気揚々と、いざ カレル橋へ。美しい。美しすぎる。 モルダウやで! 白鳥やんか。プラハ城やん、ああ、勿体ない。あのルーマニア、ブルガリアの土煙から着いた(いや、そけが悪いというのではない)プラハは別天地。しばらく勿体をつけカレル橋を渡らず、ぼーっとモルダウを眺める。ええなあ。ちょっと唇に熱の花が出てるけど、プラハやん!
 カレル橋を渡る時どきどきした。1H位かけて、ぶらぶら歩いて渡る。絵あり、楽あり、そして何と美しい塔の群れ。さんざん眺めて渡る。
 プラハ城へついでに登ることにして、22番のとラムに。うまいぐあいに北入り口から入り、15:00の門衛交替も見て、プラハ城からの市街の眺めもGood。黄金小路、カフカの家も見、辻楽のバイオリンも聞き(モルダウを弾いていた。もっと根性いれんかい)、城内の郵便局から、家へもtelしたし、さあ、アイスを食べながら帰ろう!  帰りにあまりの安さに血迷い、ボヘミアングラスを大量に別送した。パパごめんなさいませ。
 帰り、メトロの中で少し疲れたなーと思う。
 興奮してるんやろか。

※この夜から21日昼迄、熱と悪寒で寝込む。汗をびっしょりかいて、薬を飲み、ひたすら寝続ける。
 19日オペラのチケットあったが、とりあえず駅まで行った。頭クラクラ、体フラフラ。止めて帰った。2Weekの旅の疲れと、あの15日の寒さがこたえたのだと思う。
 18日の夜中、雷が鳴り、大雨が降る。この日より、プラハは寒さ続き。20日に日本へFAXを打ち、薬など送るよう依頼。パパからFAX。勇気が出る。

6/21(金)
 今日は相当良い。17日の夜から悪夢のように毎日体がつらかった。しかし、これも良いかと思う。マリアが広い部屋に移してくれた。もう3日朝食に行ってなかったし、気の毒に思ってくれている。
 元気を出して、 チェコフィルを聞きに行くぞ!
 旅程を変更して、すぐヘルシンキに行くことにしたので、旅券を買おうとチエドックへ行ったが、ちっとも係りが出て来ない。その間にバウチャーを見ると、ヘルシンキ−−イバロが7日になっているので、もう一度考え直そうとチェドックを出て、スタンプを買いに歩きかけると、道の向こう側のボヘミアングラスのウインドウを見ている後ろ姿に見覚えがある。あれはどうも門永氏ではないだろうか。いや、まさか。
 近づいて横顔を見ると、まさしく、その人。「え! いやあー」「おー」。ブルガリア、カザンルック以来。まさか、このチェコで会おうとは。奇遇。19:30まで少し時間があるので、カフェで話をする。
 ルーマニア、ハンガリーを経て、24日にはイギリスへ行くとのこと。明日がなんと71才の誕生日風邪薬を戴くことになり、20:30にホール前でと言うことにして分かれる。コンサートはいずれにしても1Hだけと思っていたので丁度いい。
 ドボルジャークホールは素晴らしかった。でも、チェコフィルでなく、ブルフィル。何とも残念、お粗末。 1Hもいたくなかった。メンデルスゾーンのバイオリン協奏曲だかも技術は悪くないが音楽がならない。ピアノも、おーい、金返せ。
 門永氏の誕生祝いを市民広場前のレストランにて、店付きの、バイオリン、ベース、鉄琴、これが良かった。バイオリンもやけに陽気で、こっちを見ては笑ってる。私は今日のコンサートのプログラムを上に上げて見せ、落として見せた。笑って大喜び。でも、本当にあんたの方が良いよ。門永氏と乾杯。花売りが来たので、レストランのウエーターらと一緒に「ハッピーバースデー」を歌って、花束贈呈。人生はまか不思議なりですね。
 帰りも11:00になるので、メトロを使って帰ろうとすると、ホームで怪しげな奴らが目くばせ。さてはとわかったので、門永氏に向こうへ行きましょうと言うが、奴らはどんどん同じ所へ来る。
 とりあえず乗ったが、5−6人で組んでいて、一目で分かる。横の女性が気をつけるように行ってくれる。門永氏のカメラの上に、地図を広げる。小声で、私がかばう。次の駅で降りようとするのをおろさない。「どきなさい!」と言って2人でおりる。
 彼はリュックに三脚をのぞかせているし、カメラも見え見えだし、相当年配だし、宝の山が歩いているように見えるのだろう。
 ここでB線に乗り換えて、一人で帰らせるのが心残りだったが、もう12:00にはメトロがなくなるので分かれた。どうかご無事で。
 ホテルについて宿泊先の、ガルニにTELするがメッセージコールしかでない。何ちゅう・・・。
 風呂入ったると思って入った。暑いやつ。長くは入ってなかったけど、やはり、こたえた。昨夜も実は入って倒れかけた。

6/22(土)
 朝から雨。門永氏のホテルにTELするがやはりメッセージコールのみ。気になる。
 体の調子は良好。いろいろ整理して、洗濯もする。ちょっとつかれた。
 カールシュタイン城(プラハ郊外)が今日だけど、どうするかと思案。まあ、行くと言うことに、外に出ると、マリアが地下で仕事中。顔を見て出てきた。「今からカールシュタイン」というと「today?!」といって2人で顔をしかめあった。

6/23(日)
 寒い。大寒。今日、1日だけ筋向かいのマリアの友人のアパートで泊まる。すごく良い。でもとにかくプラハは、この4−5日寒いんだ。
 近くのスーパーマーケットも今日は休み。よおーし、とミュージウムまでメトロで買い物に。脱ぐ服も買い。食料も買い、ワインも買い、やっと日記も日数を取り戻した。これでお風呂に入って寝ます。

6/24(月)
 朝、ベティーに戻ると入口に日本人が。平賀さんという人で、2人でユダヤ人墓地へ行くことに。
 やっぱり、雨がよく降る。
 ピンスカヤ・シナゴーグ内に書かれた、7万人もの人達の名前に圧倒される。今日は日本人が多い。よく歩いたので、昼御飯を食べに入った。とてもおいしかった。2人で2千円位。私なんか伊勢エビ2匹分のカクテルを食べたんだぞ! 平賀嬢は日本でも、旅行費用を出すため、粗食だそうで、ビーフステーキを真剣に食べていた。
 このあと平賀がどうしても、あの船に乗りたいと言い。乗り場をさがしながら歩いたが大失敗。雨がめちゃひどくなり、船もおらず、カフェーで一休み。
 夕方マーケットで買い物をして、2人でビールとワインで乾杯。すごい、おいしかった。1300位の買い物。

6/25(火)曇後晴れ
 今日は(いつも?)ゆっくりぶらぶらしながら用意をして、日本へ小包を送る為、郵便局に行った。スーパーでテープを買ってから行った。でも郵便局で売ってる。3.5Kもあるのでカスタマーへ行けと言われたけど遠いしいやだったので、2つにばらにする。箱を買って入れたけど、1つは0K、でもあと1つは0.3Kオーバーでだめだと言われて又やりなおし。それでも持って還るのはいやだったから、根性で送った。両方で5600円位。ええねん。
 帰りにまたスーパーでナイフやら小さなまな板を買った。11:30にベティを出て、4:30迄かかった。何しろ長蛇の列で、やっと順番がきても、ここは違うとか言われる。途中でちょっと腹が立ったりもしたけど、ま、しかたないか。
 疲れたので帰ってひと休み。スーパーで買い物をしておいたので今日は平賀さんのバースディーイブなのでキッチンを借りてポークソティケチャップソース煮込みを作った。チェリーも買っていたし、ハムもあるので大ごちそう。
 彼女は一人っ子で、色々よく似通っている。頑張ってほしい。バラ三輪だけどプレゼント。
 夜、日本人3人の親子連れの人が来て話がはずむ。何んと彼女も一人娘。面白い。学生の時、南フランスに3カ月留学して日本語を誰かと話したいと強烈に思ったことがあるそうだ。よくわかる。日本へ帰ったら又必ずあおう、と記念撮影。
 平賀さんは朝6:30に出て行くし、肥後さんは8:30に出るとのこと。ではこれでお別れ、と互いの健康と旅行の成功を祈りあって別れた。平賀さんはドイツへ行って10日いるとのことだが、8万円しかないがやっていけるだろうかと私達二人に聞き、二人共「ウーム」と返事につまるので青い顔をしていた。やるしかないだろうが。頑張れ。

6/26(水)晴れ一時小雨
 今日は切符を買わなくてはいけない。でも先に買いに行って疲れると、もうどこへもいきたくなくなるので「我が祖国」に出て来る「高い城」のブシュフラドへ行くことに。
 地下鉄「ムゼウム」でC線に乗り換え二つ目のブシュフラド下車。素晴しい。来て良かった。天気も良いし、本当にモルダウ河がうねって眺めが良い。これでもう良いや。何も見なくていい。これぞプラハの真骨頂。
 相当長くぶらぶらしてドヴォルザークやスメタナの墓にもお参りしました。本当にこの場所はすばらしい。一日いてもあきない。伝説の女王というけど、本当にお城はあったのです。
 丘だけかと思っていたのに城壁や遺跡が残っている。広大な素晴しい場所。市民の公園になっています。明日も来たいなあ・・・。
 プラハ本駅で切符を買う。同じくC線なので都合が良い。並ぶ前にインフォメーションで窓口を聞く。長い列が作られていたが割とスムーズ。1830コルナというから8000円弱か。1STクラスでスリーピングカー。ワルシャワへ28日の18:20にプラハを発つことになりました。帰ってマリアに言おうと思ったけどいない。朝からずっと。どうしたのかなあ・・・。
 5:30頃から押し花の整理をして8:30頃から食事。昨日のトマトスープにゆがいたじゃがいもをいれて炊いておいたのを温め、パンとハムなど。チェリーも。おいしい。
 今日は日中はとても温かった。でも今9:30だけどもう冷える。熱いシャワーを浴びて寝よう。明日はゆっくりして今後に備えることにします。
 ※18:30にKKさんにTELしたら寝てた。日本は夜中の3:00頃ですと言う?ねぼけてたね。1:30に寝ている、ということはひまなんや・・・。この時間起きてるのはKKさん位やと思ってTELしたんやけど・・・。

6/6/27(木)晴
 久し振りに朝食を摂りにゆくとマリアが喜ぶ。ヘルシンキへは900$もフライト代がかかると言うと大仰天。28日にワルシャワへ出発するので、17:15に車を頼んだ。
 どうやら23日の分をキャンセルせず、振り替えてくれる様で嬉しい。チェックを頼んで食事をしていると持って来てくれた。何んと一泊550KCだって!信じられない。
 チェドックの野郎、一泊2000円もペイしてるんだ。次回は直で来るべし。電話代も安い。合計で12,000円位。でも後の宿泊代より高いぞ。明日5時まで部屋を使いたいのでそれも払うと言うと「空いているのだから構わない」と言う。5000KL払って後は良いという。それでも本当に申し訳ない。
 いらない物を捨て、大体の荷造りをして、小包を送りに郵便局へ。結局3つ送った。香水(バラの)入れも全部送ってやった。ざまみろ(何が・・・)。マーケットで靴下を買おう。
 その前に家とNNさんにTEL。家はR子が出る。Sちんと久し振りに話す。馬鹿話。切れた。又かけるとパパが出て、ま、とりあえず元気に明日ワルシャワへ行くからと言って切る。NNさん3回目にやっとかかった。どうも回線が悪かった様だ。元気にしているから、と言って報告。
 いよいよ明日はリトアニアへの玄関口、ワルシャワへ出発。少し緊張するなあ。スーパーでいろいろ買い、部屋で遅いランチ。下のベティにハムやソーセージをやって手なづける。抛らないとかまれる。全部やっても未だ見てる。フィニッシュ。

6/6/28(金)晴
 朝ごはんはやっぱり食べには行けなかった。9時に目は覚めたが10時頃のそろそろと起き出し、コーヒーを沸かして買ってあったパンとチェリーやケーキを食べる。満足して身支度やらパッキング。
 11:30頃から最後の別れに市内へ出かける。手ぶらで。とっても身軽。メトロで城入口迄いき、22のトラムで北門へ。かなりぶらぶらする。一家6人に葉書をかき、城の郵便局から出す。
 よくわからないがナショナルギャラリーがあって入った。これは良かった。初めの方はキリスト関係ばかりであったが、なかなか見応えあり。見事。城内の教会のステンドグラスも素晴しかった。細かな表情を活き活きと表している。ビデオカメラも持たずに来たので、次回撮りましょう。思わぬところで時間をとったので今日はヴィシュフラドには行けない。残念だけど次回又。あの情景は焼きついているし大丈夫。
 14時お腹が空いたので食事に入る。正門の向かって右。立ち食いのF。座りたかったので少し高いけど。なかなかチェコ料理はおいしい。油こくない。

 3時前に出て正門前へ。交代の時間だ。すると城内から女の子が歩いてきて何やら衛兵に聞いている。衛兵は交替の見張り番だから、それどころじゃない。『歩き方』を持っているので日本人とわかり、「こっちこっち、ここにいたら見られるよ」と叫んだ。
 なんと阪大生で3WEEKSも大学をとばして来たそうで9月1日に帰国だそうです。すごい!3回生、看護婦さんになるんだそうです。  すごい!あとワルシャワに行ってクラクフ、ウィーン、ブラチスラヴァ、ブダペスト、などに行くそうです、トルコアウト。すごい!ヘオグラードを通るつもりだと言うので、絶対やめてルーマニア経由にしなさい、と言った。色々話が弾み、帰国して会う事に。アドレス交換。ますます遅くなったので急いで帰る。
 4:45着、あわててシャワー、パッキング、マリアが呼びに来た。荷物をおろしてくれる。メモリアルフォトを撮ってベティにも別れを言い、心を残して別れた。次もきっと来い、と言うマリア。さようなら、本当にありがとう。ストッキングや重いので電池や、グァムのキーホルダーも置いて来た。彼女達には珍しいと思った。
 さて駅に着いたけど荷物が大変。その上、降ろしてくれた所は一番線ホームの目の前だったけど、私の乗る汽車は何んと七番ホーム。端から端。その上一度降りて又上がるという至難の技が待つ。
 (案内が解らず、その辺にいた駅員に聞くと「Idon’t know」など言っていたが再度聞くと、大分色々聞いてくれたらしく7番ホームだと教えに来てくれた)
 一番ホームからひーひー言いながら降ろしていくと、若い青年が「Can I helpyou?」と言って走って来て、私が「Heavy weight」と言うと「I try」と、たったっと下迄あのトランクを。もう一つは私がおろします。ありがとう、本当に。  「Thank you so much」「You are welcome,bye」なんて爽やかなんでしょう。そしてゴロゴロと2つを延々7番の階段下迄運びながら「着いたらどうやって上迄上げようか・・・」とずっと考えていた。
 すると荷物運搬の車などが上がる様、坂になっている上がり口があったので幸い。又ゴロゴロと押し上げる。嗚呼!長い長い坂を上がりそして今度はホームをバックしていく。どこに私の車両が?!それは最後尾にありました。
 先に小さい方を上げていると後ろから又「Can I help you?」ああ!ありがとう。何んて優しいのでしょう。これはね、持ち上げたらあんたが後悔する程重いのよ。と思っている間に上がって来た荷物。ありがとう、彼は隣のコンパートメントの人でした。大汗かいて上着をぬぎ、お茶をごくごく。
 10分程遅れて出発したが、まだ6:30外は昼、ボヘミアの大地の美しさにビデオとりが忙しい。本当にチェコはすてきです。
 10時前後にチェコとポーランドの税関が乗り込んで来た。ほとんどフリーパス状態だけどチェコのあとから来た一人がかばんを開けろと。あけて見せる。服が崩れ向こうも少し後悔気味。
 そうしている内に国境駅に着き約40分程停車。列車の外をランプを持ってゆらゆら車下を点検したりなかなかチェックが厳しい。
 ポーランドのコントローラーにベラルーシのヴィザを持っていないがヴィリニスに行くのに列車の中でとれるかと聞いたが分からんと言う。すると別の隣のコンパートメントの男性が「なになにベラルーシか?」と出て来た。その人の言う事にゃ大丈夫だと言う。信じるしかない。
 汽車はひた走りにポーランド、ワルシャワへ向かって走ってゆく。次はポーランドの国境駅で又長く止まるのだろうか。国境越えはわくわくする。面白い。ああ、国を越えるんだわ!という実感がある。この感触は労苦にかえがたいものがあるのです。

6/29(土)晴天
 ワルシャワに早朝着く、しかし少し遅れたので6:40位。昨夜はろくに眠れなかったので荷物を運ぶ気力が出ない。やっとPeronの上、中地階とでもいうか、上がった。一応エスカレーターはあったので助かった。
 でもどこがどうなっているのかさっぱりわからないのでいやになっていると、一人の男が「Madam、exchanーge money?」とかいろいろ言って来るが無視。でもずっと尾いて来る。
 そして荷物預けを探しているというと「マリオットマリオット」と言ってどんどん持って行き、マリオットのクローク迄連れて行って預けろと言った。ベルボーイが私に「ここに泊まっているのか」と聞く。「No」と言うと「うちの客のを預かるだけだ」と言った。
 当たり前ですね。私も何故ここに連れて来られたのかさっぱりわからないのだから。「ええ、わかっているんだけど・・・」と言うと、じっと見て「何時迄?」「Tonight,9o'clock」と言うと、だまって荷物を中に入れ、チケットをくれた。「Sorry・・」と言って受け取り、頭の中がこんがらがっている内に外へ出ようとすると、あの兄さんは隠れていてにこにこ笑いながら出て来、「OKだっただろ」と言う。この手で何人もここへ連れて来て、無理に預けさせ、丸め込んで金儲けのエサにしてるんだ・・。
 そしてこの時間だからどこも空いてないぞ、チケットも買えないぞ、などずーっと横で言い続ける。そこで「じゃあ、あんたがヴィリニス行きのチケットを買ってよ」と言って売り場に行き、二度ならび直して(売り場が違った)1st claーssのスリーピングカー、ヴィリニス行きの切符を買わせた。
 うっかり両替をして使えないものをつかまされたら困るのと、切符がいくらかかるか解らないものを多くても少なくても困る。本当は7:37があったのだが、こいつがあれはここのステーションからではない、などほざく。何んでわかる。
 21:17も7:37も何も変わらない表示だ。時間以外。けれど私も、又荷物を取りに行くのも間に合うかわからずワルシャワものぞいて見ても良いと思っていたので、日本語で「どこが違うか言ってみろ」などと言いながら笑っていた。
 とりあえずドルで幾らになるか売り場の人に聞くと「Maybe 35$」のところ奴は60$を要求。何言うてんねん、無体と言う言葉を知らんな。でも必死でいろんな事を言う。仕方ないので50$やるともう5$と言う。あほう。もうそれ以上取れないと思うと、さっさと向こうへ。
 別れてはっと気がつく。ポケットに入れたと思った20$が無い。え?あわててバッグを見る。緑の札入れも。あーっ!?あいつすったの?私は駅の真中で呆然。
 大分してからとりあえず売り場に忘れたかもと歩き出す、と、奴が上から降りて来た。又カモって来たらしく、にこにこしている。「You!」と指差すと「どうした?」と気のいい返事。そして知らない、ポケットもほら見ろとか言う。
 取ってても今更持ってないだろが、と思いながら上へ上がって行くとついて来た。そして売り場のカウンターにありました。奇跡的に、スプライトの瓶に入れたお茶と緑の札入れが。20$はちゃんと中に入っていたのです。
 奴に「Sorry」と言うと、いい、いい、それよりチェンジはしないと困るぞとさんざん又言うので、ま、それもそうだし疑って悪かったのもあって15$一応換えた。200000しか渡そうとしないので何言うとん、レートは27やでと言ってもう100000私が奴の手から取りました。
 そして別れた。それでもあんたも大方5$近い儲けじゃないの。私から20$もとったんだよ。帰って寝れるわ。
 街をぶらぶら歩くけど眠気でこけそう。途中ファルキ(臓物を煮込んだスープ)を食べた。ニケのある公園迄歩き、無名戦士の墓の前に。2人の衛兵が直立不動で護っている。永遠の平和を誓う炎が燃え続けている。
 真前迄行き、手を合わせて、世界の平和を祈念。顔をあげると2人が目を瞠って見つめていたのをあわててそらしていた。あとで交替式を見たが、皆写真を撮ったりのぞくだけの様で、手を合わせて行く人はいない様だった。
 ベンチで昼寝。目をつぶり横になるだけで随分違う。お年寄りが散歩に来ている。皆のんびりして気持ちよさそう。噴水の音が心地良い。眠りたいが少し寒いのでやめた。
 お昼ごはんは中華。麻婆豆腐とライスと餃子。ミネラルとジャスミンティ。皆日本のものとは大分違う。でもおいしい。320000という事は1,200〜300円位か。とても親切な「北京」でした。ドルで払った。
 旧市街へ行くと面白い。王室博物館に行った。あれだけ焼かれながらよく集めたなあと思う。歩き続けて疲れたので葉書をかくことに。記念碑の下に市民が座っているのへ同じ様に座り、10枚書いた。  あんまり長いこと座っていたのでお尻も痛いし眠気が再び。さっきから気になっていた音楽のする方へ行くと、バラライカの大きいのと小さいのを混ぜたアコーディオン、ギターのグループが素晴らしい青空コンサートを聞かせていた。
 前の方で若い人達や子供が座っているので私もそこへ。ギターの人が中心で歌う。素晴らしいコーラスです。2H30位聞いていた。彼等のテープ2本750円とあと500円位、見物料を帽子にいれました。堪能した。
 ワルシャワに降りて良かった。私自身も最終というか本然的には青空の下、大地が舞台という思想だと再確認。本当は2時頃からマリオットをとってシャワーとベッドなど思っていたけど、したかったけど、でも15000円は勿体ないしと思い迷った末、広場に来たのでした。本当に良かった。
 少し旧市街をバルバカンに向け歩いてからTAXIをひらい駅へ。Peronを確かめに行ったけど表示がまだ出ていない。とりあえずマリオットへ行き(行って良かった。朝、訳がわからずついていったので入口がわからず、マリオットの目の前でマリオットを聞き笑われた)
 2階レストランで食事。どこにしようかなーあとウロウロしていると、まあ何んておいしそうなケーキでしょう、ここは食事はできないのかしらと見ると、できるできる、ケーキに誘われ入った。ヴッフェ式があったのでそれにする。ビールとおいしいチキンやおいしい野菜、いただけない魚、etc・・。2回おかわりをしてフルーツも嬉しい。カプチーノを頼んでケーキをとりに。おいしい!ああうれしい・・と口走っていた。
 元気の出た所でもう一度駅へ行ってPeron1を確かめ20:20。荷物を取りに行き「誰かステーションへ持って行ってくれないだろうか」とベルボーイに聞いたが無理だという。
 そうか。よし、自分で行くやん。ゆっくりゆっくり、そして押し方もとても上手になりました。階段を降り、ずずずっと引っ張り、練って進むトランクをなだめ、やっとペロン1。
 何度も周りの人にも確認。ベラルーシのヴィザも確認。持ってない人がいて安心。汽車に乗り込む時も手助けしてくれる人多い。何しろプラットホームから70〜80cm以上は高いし。
 コンパートメントにはもう一人いて、この少女が夜中のベラルーシヴィザとりで随分サポートしてくれた。この事で1st classに乗り「45$!!」と大声で喚いてはいたが、ヴィザ代もちゃんちゃん払っていたし、きっと金持ちの家の子なんだろうな。
 ちょっとサリの雰囲気を持っていた。税関の申告も隣のコンパートメントの青年が一生懸命サポートしてくれた。そして、もし言葉が解らずトラブって、カスタマオフィスに連れて行かれる事になったら自分がサポートすると言ってくれた。列車は夜中に何度も何度も止まる。どうも調子が悪い様だ。40分位どこかで止まって整備をしていた。大きな音で、すごく響く。眠れず通路に出て来た人もいる。私も目が覚めていたが上の若者はグウグウ寝てる。若さってすごい。

6/30(日)晴夜雨
 11:30頃ポーランド国境通過。真夜中にベラルーシ側。私を含め3人がオフィスに行ってヴィザとり。女性の係官が「このヴィザは1日しかこの国にいられない、今日中に出て行かなければならない」と厳しい顔で言う。はいはい、私も長居する気はありません。第一『歩き方』がないもの。だるまさんでは身動きならない。どんな国かも解らない。
 でもヴィザはすごいかっこ良い。何しろ45$だよ。たった3H程通過するだけ。これが日に2本。すごい収入源です。まさに「王の道」だね。力も入るね。
 4時頃リトアニア入り。ポーランド出国、ベラルーシ入国手続、出国、リトアニア入国、その度に起こされ、故障で眠られず、やっとヴィリニュスに着いた時はふらふらでした。2晩続けての列車移動、しかも国境越えは年令がついて行けない。
 リトアニアの首都ヴィリニュスの駅は大田舎の駅というイメージでした。気が抜ける程。又荷物を持って階段を降りようとすると、随分年輩の男性が手伝おうとしてくれるので「大丈夫ですよ」と言う。あまりに申し訳ない。
 上手にゆっくり降りる。荷物預けにとにかく預け、チェンジしに行って支払い。
 Telカードを買って家にTel、パパは六甲歩き。SUEちゃんにリトアニア入りを伝える。
 駅前は何だか悲しい雰囲気。これからの国です。こういう問題を抱えている、というのがひしひし感じられます。
 ホットドッグを買い、持っていたミネラルウォーターでベンチに座って食す。
 いろんな人が周りを歩いている。目の前を行き過ぎ、すぐ横のゴミ箱を覗いて隣のベンチに座る男性。60代かなあ。何んか外人がもぐもぐと頬張っているのが肩身の狭い気になり口に押し込む。
 駅前タクシーは変わらず獲物を狙う目つきの人が多い。ワルシャワの奴も写真見せてもらったけど、誰れしも家に帰ったら奥さんがいて可愛い子供がいるんだ。そして良いパパしてるんだと思うと、ま、いっかと思ったりいろいろ感じるし、考える。
 トロリーバスに乗って市街へ。訳が分からず皆が降りる所で降りたらメッセだった。すごく面白い。でもちょっと楽しむ身体の調子ではないのでバスを乗り換えやっと旧市街へ。
 ヴィリニュス大学の近辺をぶらつく。出店が出て賑やか。虫入琥珀があった。でも高い。すごく高い。
 11:30昼ごはんにいわしの酢のものを食べた。おいしい。腹ごしらえをしてホテルさがし。目星をつけて行ったところが一泊6900円位でバスタブはないし、中庭は工事中。
 私が他にないの、と言うと、もう一軒の自分の所のホテルへ行ってみてくれ、と言うので徒歩7分位の川に近い所へ行ってみたが、満員。受付の女性がこの街一番のホテルの名前を言って、そこへ行けと言う。
 私はそこ迄歩くのがもういやだったので目の前の河を渡った所にあるピライテという貴族の館だった所へ行こうと思い、歩きかけた。そこは何んと初めて見た時、城か博物館だと思った所で、外観はシャトウ。
 よし、ここやと思ってレセプションへ行くと60$だと言うので決めた。部屋は普通の近代的なホテルのイメージとあまり変わらないが、他国でこれ位のステイタスを持ったホテルに60$では泊まれない。どうせこれ位の値段ならここにしようと決めたが、ポーターがいないという。この3階迄の階段をどうする。
 外で客待ちタクシーのできるだけ頑丈で若そうなのを選んで駅迄行き、クロークから荷物を運ばせホテルの3Fまで運ばせ、メーターが560円位の所を10$あげました。(だってここ、1メーター30円位からなんだよ)
 熱いお風呂に入って2:30〜8:00迄どっと寝た。寝付く頃すごい雨と雷の音。そういえば今日傘を持っている人が多かったな、と思いつつ・・・・。
 夜8時、目が覚めお湯を沸かしてごはん、味噌汁、お茶。外は又、雨が降ってきたが明るい。そして12時を過ぎても若い人達の笑い声。でもTVは1局以外12時で終了。この白夜の長い国で。12:30にはその1局も終了。
 私はもう一度お風呂に入り、久々にシャンプーして幸せな心で寝ます。

7/01/月 雨時々曇
 9時に食事が来た。チーズとサラミと目玉焼き。ヨーグルト、コーヒー、パンなど。片目の黄味だけとパン小一切れ、ヨーグルト、ジャム、コーヒーのご飯を食べ、ちょっと休憩して荷造り。
 レセプションの彼女が今日この部屋は0Kだと言ったが断る。2日の夜から3泊の分はリバーサイドをリクエストしておいた所、0Kでした。
 外はかなり寒そうなのでしっかり着る。カウナスで一泊するつもりなので下着を持つ。ホカロンも3つ持った。さあ!・・・ビデオが重い。右手が相当腫れていたので揉んだ。合谷がよく効く。
 階下へ荷物を降ろしていると若い女性が出てきて手伝ってくれ、昨日と違う少し年配の女性と2人で4号室へ入れてくれた。
 私は今日はここに泊まらないと言ったら「よくわかっている、0Kだ」と言ってニコニコしている。3日分チェックしておいた。
 私は勘違いして240$用意していたが180$だった。一泊はもう済んでいたのに。2人共とても気持ちの良い人で若い方が「外は寒いので気をつけて、Good Luck!」と声をかける。「ありがとう」。
 11:30、外は本当に寒い。しばらく歩いていると頭がクラッとするのであわててスカーフを出し、頭に被った。
 ホテル前からバスに乗れば良かったが、ヴィリニュス大学迄歩いて正門を確かめた後、道に迷い、トイレが急ぐのでレストランに入る。カプチーノを頼み、トイレに駆け込み、ほっとしてすぐに外に出る気にならず、日記を書く。お腹がグルグル鳴って来たので時計を見たらもう1時前。
 メニューを見せてもらうとこれが安い。カプチーノは60円、ビーフストロガノフ200円ほど。食べる事にしました。
 リトアニア名物、ツェペリナという奴とビーフストロガノフ。ツェペリナはフライしてあってちょっとしつこい。ストロガノフはとてもおいしかった。ケチャップ味かな。13:30になります。チェックして出発しよう。その前にちょっとトイレ。
 15:16のカウナス行きに乗った。1st クラスで料金は何んと168円位。約1.5時間の旅。車中で葉書を書く。時々雨が降っている。窓外の景色は花がいっばいで美しい。
 カウナス駅に着いた時は何んといって良いかわからない気持ちでした。ホームの上でにこにこ笑っている日本人を見て周りの人はどう思ったでしょう。しばらく駅にいて写真迄撮ってもらった。感無量だった。
 トロリーバスで中心迄行きカウナス城へ。美しい。色合いが良い。香港から来たという姉妹に会い、しばらく歓談。現地の少女達が盛り上がっているアジア人をじっと見ていた。
 一緒に歩いていたが18時〜19時でショップは殆ど終わり。私はホテル探し、彼女達はぶらぶらすると言うので別れた。カウナスを夜中1時の汽車で出るとの事。
 リトエヴァ2に宿をとる。120Let。湯は出ない。ベッドメイクは自らで。思わずユースか!と叫んでしまった。
 一応落ち着き、レセプションでニダ行きの事を聞くと、毎日は無いのではないか、時間は8:30〜9:00位と思うがよく知らない、という事なのでTaxiで見にゆくことに。
 流しを拾い、先ず旧日本領事館の住所を見せ、次に船着場、そしてホテルへ帰って来たい旨告げる。
 坂道をどんどん行くのでTaxiにして良かったと思った。閑静な住宅街にあった。意外と思える程小じんまりしているが、前に立った時涙がこぼれそうになった。来たなあ、と思った。
 しばらく居たかったが住んでいる人がいて話声もするのであまりに失礼と思いビデオも遠慮しながら撮ったが、写真はきっちりドライバーに撮って貰った。カウナスにはこれで他何も見る事ができなくても構わない、と思い乍ら幸せな気持ちで去る。
 船着場に行くと閑散としていて、これで営業してんのかと思う様な状態、ドライバーが「a moment」と言って見に行ってくれた。
 ネムナス川はとても美しい。ビデオなど撮っていると彼が戻って来て「月曜はある、火曜はない、水、木、金、土、日他は全部ある」と言って首を振る。見事に大はずれだけどさっきの気分で全然構わないと思う。
 もう一カ所きれいな所に連れて行ってくれと頼み、ホテルへ帰った。とても親切な人なので気持ちが良い。余分にあげると恐縮して他へも連れて行かんならん、とか言っていたけど、他に行く所もなく別れた。
 私がボールペンを無くした様だ(ホテルに忘れていた)と言っていたので自分のをくれると言う。「いい、いい」と言うと頼むから貰ってくれと。快く頂きました。
 ホテルのレセプションのお姉さんに火曜はあかんかったと言うと笑って、水曜に行ったらと言う。いや明晩ヴィリニュスに帰る予定にしている、もうホテルを予約しているからと言ったらびっくりして、「明日ニダ迄行って明晩ヴィリニュスに帰るつもりにしていたのか、それは全く不可能だ。ニダ迄片道4時間の道程だよ」と言われました。  知らないってこわい・・・・。さっさと予定を変え、明日15:27の汽車で発とうと思う。
 部屋に一度帰り荷物を全部置いて食料と飲み物調達に。今はお腹は空いてないけどあとで困ったらいやだ。
 飲料水を買い、袋をくれないので危なくて持てず、遊歩道のベンチに置いてハンバーガーショップへ。誰か持って行くと困ると思いながら店の少女に袋をもらって振り向くと、やっぱり若い兄さんが自分の袋の中に入れていた。
 「It's mine!」と言って走って行くと、一生懸命あやまっていた。ミネラル3本、スプライト1缶あやまりながら出して来る。
 私が悪いのよ、誰だってここに置いとけば首をひねりながら持って帰ろうと思うよね、これが物乞いのおばさんでなくて良かった。絶対返してくれないと思う。
 部屋に帰って足を洗い(身体は洗えない、水だから)顔う。
 21:30やっと夕焼け気味。22時夕焼け。でももう寝ようとか思っても隣の部屋で大声でしゃべっている。買って来たものを食べ、飲んで日記をつける。23:45。やっと暗い。
 隣はまだ大声。明日はしっかり寝るぞー!

7/02/火 晴
 4時には外はすでに明るく、寝たいけど眠れない。クレイジーな白夜。ラップランドへ行ったらどうなるのか空恐ろしい。
 何度も寝る態勢を試みるけどむなしい努力なのでそれでもベッドにしがみついて8時迄頑張る。食事はしたくない。遅くに食べたから。
 10:30頃チェックアウト、悪魔博物館に行って、ぶらぶらして早い目の汽車で帰る。
 博物館の近く迄行っていたがよくわからなくなり道を聞く。するとその前に素晴らしい美術館があるから是非行けと言われた。
 悪魔博物館は11時と書いてあったが12時から、美術館も。
 30分あるので両替に。美術館の方は大変に啓示的な絵で面白かった。RYOUが見たら喜びそうなのでカメラはだめだがビデオで撮った。それも断られると困るので隠し撮り。すみません。
 デビルの方も楽しかった。室本君にペンダントのおみやげを買った。
 出ようとすると女性が追いかけて来て話し込む。日本にあこがれているそうだ。日本のデビルを送ってくれとの事。0K、0K。ヴィリニュス大学の3年生とのこと。
 大分長く話したので急いで駅へ。14:20だった。14:58発の汽車が丁度あって6.8Litaとはどういう訳かな。乗り込んでしばらくすると雨。ほんとにころころ変わる天気です。
 8時に寝ました。今度の部屋の風呂は湯が真っ赤。

7/03/水 晴
 昨夜、ヴィリニュスに1時間10分位で着いて16:10、ホテルに16:30位に入った。晩ごはんをどうするか考えていると17時前から又々大雨。雷もばりばり。ホテルのどこかの窓が、揺れる枝で割れた。
 そこで私はバナナを食べて20時位から寝たのです。朝8時迄寝ました。でも又寝て9時に朝食を頼んでいたのでそれで起きた。よく寝ました。
 今日はラトヴィアのヴィザとり、汽車の切符買い、バルティカフェスティバルの場所、時間など、する事がたくさんある。そしてうまくとれますように。
 洗濯をしたので出るのが遅れ、11時になった。
 ホテル前のTaxiに住所を見せると「10リタ」と言う。なんで。メーターはないのか。「NO」と言ってトロリーバスに乗った。
 うまい具合に降りた場所から一直線で行く道だったがやっとこ歩いてもめちゃ遠。
 Taxiを拾い乗ったらこれもメーターがない。でも大使館前は警備がいるので3リタ出して0Kだった。ところが11:40に着いたのにもう午前のヴィザは終わりだと言う。
 何んで10〜12て書いてあるやん。14時に又来いと。しようがないナ。苦労して来たのに。愚痴りながら駅へ向かう事に。
 しかし駅で時刻表を見て愕然。リーガ行きしかない。なんで。何度見てもない。切符売りのお姉さんにタリン行きをくれと一辺聞いてみたらやっぱりリーガ迄しかないとの事。タリンはリーガで買えと。えーーー!ちょっと立ち尽くす。ほならしようがない飛ぼう。ああ、ラトヴィアのヴィザ取らなくて良かったぁ・・・。守られたんやなあ。
 あの時10リタでTaxiとばしてたら間にあって20$でパァやったやん。良かったあ。
 さて『歩き方』様のおかげを持ってギンタリスサラにて私はヘルシンキ行きのチケット343$也を手に入れました。無論カードで。ついでにヘルシンキのエアポートホテルもブッキングしてもらった。1Night135$位。
 係の女性が「チーパーだ」と言う。知ってるよ。だからそんなに心配しないでね、ブカレストで160$4泊もしたんや。日本への電話代2万円位かかってんねんで。出すとこでは出すねん。しようがないもん、とか心で思いながらにこにこ笑っていました。
 彼女はとても良い人で一生懸命ホテルを探してくれたり、バルティカフェスの会場の住所を教えてくれました。
 さて一度ホテルに帰った。(その前にペコペコのお腹で本に載っているロキスという所がすぐ近くだったので行ったけどおいしかった)
 16:20位から大雨。どうすんねん!フォークロアダンスがでけへんやんか!
 大雨の中5時にホテルの件でもう一度サラに行かねばならないので出かけようとするとレセプションのおばさんが「こんな雨の中どこへ行くのか?!」と止めとけと言うけど、私は約束があるねん。
 ホテル前のTaxiに仕方なく乗った。気のよい人だったので、やっぱり10リタというのを7リタに値切った。
 ホテルは一応とれたが明日Telする事に。予約Noを言ってくれる。日本料理の店、扉に行く。入口にいた男の子が「すごい雨」と流暢な日本語で言うのでのけぞった。聞けば3年間にいたという。すごーい。でも10才そこそこのあんたが煙草を吸ってるのはどういうわけ?
 そうめん、おいしかったよ。巻き寿司はあかんわ。そうめんの汁はめちゃからで飲めない。
 (カラオケもある)中に3人のリトアニア人がいて、気易くものを言う。面白いので同席して海苔巻きを箸で食べさせてやった。1人はつかめないので突きさしていた。酔っ払っているのでやたらベタベタしてくる。47才だと言ってやったら、のけぞっていた。
 バルティカフェスティバルに行くと言うので会場迄、連れていってもらった。良かった。
 フォークロアの人達は踊れなかったのでフラストレーション解消の為、踊りまくっていた。カメラなどを向けると引っ張られ踊れと言う。勘弁してよオ。でも聞かない、カメラとビデオを預け、踊る。
 うまい、G00D!なんてほんとに!ビデオの撮り方を教えろと言ってくる。これを日本に持って帰るのか!皆陽気で楽しい。ほんとに踊りまくり。どこでも誰でも踊っている。
 8時になると今度は歌。舞台上で。良かった。まさかこのフェスティバルに当たるとは思っていなかった、あわよくばと思っていたけど大当たり。明日もあるのだが、どうか夕方雨が降りません様に。
 10時を過ぎたので帰る。まだやっているけど暗くなると危ないので。夕焼けがとてもきれい。
 ホテルの湯は赤くなかった!明日はトラカイ城へ行きたい。KGB博物館も見たいが・・・。16時のフェスにも行く。

7/04/木 晴
 ユダヤ博物館へ行った。2つあって1つはナチスの時の受難。見たとたん涙が湧いて来る。すさまじい。2度とこんな事があってはならないとあらためて思う。
 杉原氏のコーナーがあり本当に来て良かった事をしみじみと感ず。
 前庭に“月光”という杉原氏の業績を称えたモニュメントが。この心をもっと多くの人に伝えて行かねばならない。
 KGB博物館に行ったが壁を塗ったりしていて全くどこを見て良いかわからず、塗料アレルギーを起こしかけたので慌てて出る。
 お腹がぺこぺこになったのでそこらにあった中華料理に入った。間違って“豚の耳”を頼んだが、ガーリック入りの醤油につけて食べるのがものすごくおいしかった。こんなたくさん食べられるかいと思っていたのに2/3位食べてしまった。
 箸を使って食べているのが相当珍しいのでしょう、ちらちらこっちを皆さん見ています。しかしリトアニアの中華は中華とは言いがたい。
 満腹になったところでタクシーをつかまえトラカイへ。良い天気で気分も良い。このまま降らないでいてくれたら16時からのフォークロアが催行できるのにね。
 ドライバーは本当に変な天気だ、大雨が降って寒いと思ったらこの通り暑くてたまらない、などと言っている(らしい)「クレイジーだ」と言うと「そうだ、ほんとに全く」等言う(たぶん)。
 20分でトラカイに着いた。金を使うとさすがに早い。1Hで帰って来てくれと言うので、えー?とか思いながらお城へ。VTRが1500円位とるので中に入るのはやめた。外からで充分です。
 赤いレンガが水に映って美しい。青空と雲と湖と城。満足、満足。ぼーっと眺めて1Hは過ぎました。  虫入琥珀があるので買う。これは日本では垂涎もの。コーラを2本買ってドライバーに1本やろうと思ったけど、いない。仕方ないので木陰で1人飲んでると、にこにこ笑いながら変なおじさんが寄って来る。
 「Hello?」と聞くと、「いやいや」と言いながらバツが悪そうに向こうへ。変な奴。実はこれが1H前に別れたmy Taxi driver やったんや。はっきり言わんか。おかげでお互い1H待った。私は奴が来ない、向こうは一体何しとんのやそこでと思いつつ。奴の顔を全く覚えてない私が悪かったと思います。
 5時半にバルティカフェスの会場へ運んでもらったけど、あんまり催物も熱が入ってへんし、昨日の方がずっと良かったので早々にホテルへ帰る。ちょっと疲れた。
 ドルが全くなくなり円だけになったのでホテルの子に聞いたらリトエヴァの中にバンクがあるとのこと。良かった。1万円だけ替えた。これで明日のTaxiの支払いもできる。
 パッキングをして寝る。のどが又痛い。ちょっと危ない。

7/05/金 晴
 9:30ホテル出発。15分位で空港着。小さな空港です。
 少ししんどいのでとにかくボーッとイスにもたれて一時本気で寝てしまった。
 乗ってびっくり、何んとビジネスクラスやってんで。しまったなあ。2万円位で飛べたのかも。そして1番にチェックインしたのでいわゆるいの一番、1のF、窓際。
 でも乗ったらおっちゃんが座ってる。おかしいと思い、スチュワーデスさんに聞くと、言ってくれたんだけど、そいつが「あなたは窓際がいいのか?」とほざく。いいのかではない、そこが私の席やねん。  チェンジしてデイフライトを楽しみました。バルト海を越えるとこも見やなね
 ヘルシンキ着13:40。Taxiでホテルへ。ほんの5分程走って700円近い。高ーーーい!
 なかなかホテルは良かった。高いもん。荷物を部屋に入れ、寝ました。熱がある。汗がずるずると出る。よくぞ飛行機にしたと思う。
 7日迄のこの2日間が何んとも絶妙だ。列車移動してたら大事になっていただろう。
 ヘルシンキは雨。

7/06/土 雨
 熱があって悪寒がするが今日きちんとしておかなければ、イヴァロに行って身動きがとれなくなるかもしれない。
 レセプションで聞くと、空港のトーマスクックというカウンターで円のチェンジもクレジットカードのキャッシングもできるというのでフリーバスで空港へ。
 国内線で降りたので国際線迄行かなければならず歩く。身体がガクガクする。
 私のカードでキャツシングができないという。えーーっ!大おどろき。何んでェ。パパの方を出すといけた。何んでぇ?リトアニアでは反対だった。でもとにかく良かった。
 4500Fin出す。円も7万円全部替えた。空港内のマーケットでバナナやカステラなど非常食を買う。
 今夜はちょっと寝込むと思うから。レジの子が「ありがとう、ようこそ」と日本語で。2回東京に来た事があるそうだ。
 フリーバスに乗ってホテルへ帰る。サウナに入ったら良いんちがうかなーと思っていたけど4時からだと言うのでやめる。珍しくJCBのカードの利くTelがホテル内にあったので空港でかけた続きをパパにかけた。とにかく部屋に上がって寝た。
 外は雨と雷。この雷はブラショフから追いかけて来たのだろうか。
 白夜の国は大雨でも明るい。その白々と明るいミッドナイトの空を閃光が走る。
 熱にうかされながら色々と考えた。本当にいろんな事を。明日はイヴァロへ発つ日。それも迷う。この状態をおしていくべきか。身体に叱咤する。

7/7 
 歩いてもくらくらする。朝の食事は行けなかったが殆ど夜きちんとは寝られなかったので、バナナを少しかじっては薬を飲み続けた。門永氏のくれた抗生物質が本当にありがたかった。
 3回分しかなかったので朝はやはり苦しい。荷物のパッキングをし、残りのバナナで薬を飲む。このホテルにスーツケースは預かってもらうことになっているので不要の物を全部そちらへ。カートを下に取りに行こうとようようドアを開けたら目の前にあった。助かる。  全て0K、行くぞ!下に降り、何気なく私のカードでチェックアウトした。0K。気がついて?だが良かった。
 フリーバスに10時に乗る。運転の青年が荷物を手伝ってくれた。降りる時も。とにかく寒気がする。唇が少ししびれる。
 チェックインしてC2のゲートへ行くとアジアのツァーの人達がいっぱい。イスに横になって寝る。大丈夫だろうか。この状態で。
 昨夜、喘ぎ乍ら思い出していた。Nさんの言葉。「あんたがそうしようと思ったらそうなるんや」

 フライトの最中、11:35発なのにランチが出ず、アイスクリームが出た。冗談やめて!私は断り、ホットウォーターをもらって、かばんに入れておいたみそ汁を作ってカステラを食べ、薬を飲む。
 スチュワーデスがケットを2枚もって来てくれた。頭にスカーフを巻き、何枚も重ね着したのを見、アイスも断ったなら風邪だと思ったのでしょう。

 イヴァロで降りた時は何もしたくなかった。寒い。雨だし、ラップランドだ。北極圏は夏でもこんなに寒いのか。くらくらしながら荷物も放っちらかしてインフォメーションに行き、(結局Barで聞く、ホテルイヴァロと出ていたので)
 アコモデーションブッキングプリーズと言うとホテルイヴァロのマッチをくれた。バゲージを持ってよろよろTaxi乗り場へ。運転手が出て来て荷物を入れてくれる。
 「ホテルイヴァロ」とは言ったものの、「450Fim」と言われたのを思い出し「どこか安いテルを知らないか」と聞いてみる。Telしてみてくれたりしていたがつながらないので「0K、ホテルイヴァロへ」と言う。

 レセプションに着いた時は殆どカウンターにしがみつき状態。身体中ががくがくしていた。「とにかく部屋へ」と言ってくれるのを350Fimのところ、2weeksならいくらにしてくれるかと言って250Fimになったので、ほっとして部屋へ。
 もう後先無く横になった。レセプションの女性が大事にしてくれて、涙がでそうだった。ずーーと横になる。
 何度か見に来てくれて、何か食べるかとも言ってくれたが、私はどんなにしんどくても、とりあえず湯を沸かしお茶を作るので、みそ汁を作って飲み、薬を飲んでいたのでそう言った。カステラもあった。
 さっき部屋に入った時、彼女がすぐ水をコップに入れ、くんでくれたがほんの少し口をつけただけ。大丈夫だろうと思っても、ここで下痢までなってはとんでもない。吐きかけたりしたので、とても心配してくれていた。
 夜、違う人が来て、名前だけ書いてくれという。ホットドリンクを持ってきて「これは熱のある時、地元の人間がいつも飲む、よく効くよ」「自分は11時迄いるから何かあったらTelして来い、何んでもしてあげる、洗い物も言いなさいね」と言ってくれる。ありがとう、親切が身に滲みる。
 ともかく身体を休めることだと思う。家が心配しているだろうと思うが落ち着いてからに。

7/8 雨
 4H程よく寝た。台湾の人達の声が賑やかだったが気分はひどくない。昨日の人がのぞきに来てくれ、何か食べる物を持って来てやろうと言うが、私は自分で行けると言った。それは大変良い、と喜んでくれていた。
 調子は悪いが行けなくはない。オートミールがあって良かった。貧血気味なのがよくわかる。
 肩こりというか首づまり。SUEちゃんのこりこりがほしい。その為だけにちょっと来て、すぐ帰って良いから。
 気分が悪いというか、ふらふらする。昨夜は胆嚢も暴れたと思う。座薬も入れた。湿布を貼ったり色々頑張ってみた。それでも動けるから未だ良い。動き過ぎるとしんどいけど。はあはあ言い乍ら荷物を解く。そして長い休憩。日本へFaxを打つ。

 雨がそぼ降る。2:30頃サウナに入りたいとレセプションへ。5時からと言うので帰りかけると日本人が!しんどかったけど、あちらも低血糖になりしんどかったけどお茶を一緒に飲んで少し話す。
 とりあえず、気分が悪くならなければ7:30にディナーを一緒にと別れた。私はだめかもしれないと思い乍ら5時迄休憩。
 5:10頃サウナへ。さすがに本場、水を2杯かけるとワァーっと熱くなり、どっと汗が出る。ちっとも気分が悪くならない。日本のとは全く違う。すごく気持ちがいい。
 あとから2人入って来たけど、堂々と丸裸でぶらぶらさせている。そんなんようせんわ。1人は途中で「失礼、ちょっとこれ脱ぐわ、いい?」と言いながらもう水着を脱いでいる。「Yes,Yes」と言う外にどう言えと?日本人はとてもシャイに見えるわね、この中では確かに。
 あまり長居しなかったがサウナのおかげで顔色は見違える程。未だ頭や身体はくらくらしたりするけどここ迄来たらもう平気。普通にできます。5:40部屋に帰って休憩。7:10頃114へTel。行ける旨伝える。

 Oさんといって御主人は73才で大学の先生らしい。いろんな国を周って学会で発表しているとかで糖尿で目も悪い様子だが奥様がしっかりサポートされている。食事はとてもおいしかった。虫よけスプレーを頂く。白夜が見たかったのだがととても残念そう。明日ヘルシンキへ発って、ロンドン経由でニューヨークへ入るとか。仲の良い御夫婦でした。
 10:30に別れ部屋へ。頭が痛むので薬を飲み熱いシャワーを浴びる。レセプションの若い子が「昨日は大変だったけど今日は良さそうだね。」と言っていました。

7/9 晴天
 夜中12時、空の端っこが夕焼けに染まっています。
 天晴れ、朝から太陽様がお顔を出しました。フィンランド入りして5日目やっと朝から一日中晴れました。でも私はやっぱり身体が辛くずっと寝ている。
 サイドテーブルにカステラとビスケットを置きお茶を置いて食べ乍ら薬を飲んで寝ている。ずっと寝ていたかったけど11時頃ルームクリーニングが来たので仕方なく起きてO御夫妻も出発だしと思い支度をして部屋を訪ねた。
 丁度出るところで、12:50のバスで出ると言う事。一緒に昼食をとる。
 ウォームサンドイッチというのが良かった。3種類あって各自がそれぞれをとったが全部良い。焼いてバターを塗ったパンの上に
 @かもしかの肉、クリームソース
 Aシュリンプ(あっさりして良い)
 B卵焼きの上にサーモンがいっぱいのったの(私の)、そしてサラダがいっばい。これで1200円(ティーはおかわりフリーの)。お腹がいっぱいになってしまった。
 O氏より名刺を頂戴したら東京理大の学部長だった。日本へ帰ったら又合いたいねと言って頂きバスをお見送り。本当に良い御夫婦で名残惜しい。
 私はなかなか調子が良くないのでどうしようかと思ったがとりあえず情報収集にインフォメーションへ。これがなかなか遠い。背中が冷える。
 iの人はとても親切な若い女性で色々教えてくれた。そしてこれ以上のことはべつのiに行く様、場所を教えてくれる。
 礼を言って向かいのスーパーへ。色々買った。おいしそうなパン。これはほんとうにGoodだつた。バナナ、オレンジ、白菜。オレンジジュース(瓶入りはヨーロッパでは買ったら駄目、全部必ずスパークリングで炭酸もの。箱入りのにするだよ)封筒、ノート、黒すぐりのあの熱さましの瓶入り、お粥の素、(米も売ってた)、ビスケット防寒用の帽子と手袋。4400円程も使ってしまった!
 帽子と手袋で半分になるものね。珍しい花もいっぱい採集できました。蚊もすごい
 部屋に帰って毛布3枚分というシートをベストにするよう切り込みを入れる。5時からサウナ。部屋へ帰り洗濯し、バナナを食べ薬を飲んでとにかくベッドへ。9:30ごろごろするだけで昨夜もうとうとするむのみ。眠れない。
 10:30に起きて、しっかり防寒して外に出る。
 部屋の中では汗がいっぱい出たのに外ではピタッと止まった。人がどこかで大騒ぎしている。久しぶりの天気だからミッドナイトサンを楽しんでいるのだ。
 太陽は煌々と燃え、空気が澄んでいるからカッと眩しい。イヴァロ川を船で遡り太陽に向かっている人達がいる。あれはいいなあ。でも風を真向に受けて寒いぞ。
 ホテルのガーデンテーブルの辺りがとても美しい。水面に映る太陽を写す為どんどん川下へ歩いてゆく。
 蚊がすごい。虫よけスプレーの威力を見よ! とばかり身体中に吹き付ける。払いのけようとすると目に入ったらしい。3匹位は入った気がする。果敢に挑んで来る奴にスプレーを吹き付けて落とし乍ら前へ進む。
 しばらくビデオの撮ったがあまりの蚊の多さに座っていることもならず、12時までホテルの外、道路やスポーツフィールドの方へ行って見る。まさに気狂いである。
 皆車やバイクに乗ってどんどん出かけていく。10才位の子供が1人で自転車に乗ってゆく。蚊もすごい。人がどんどん出て来るから、どんどん出かけて来る。風情が出ないね。
 道や林の中で人が1人で顔や顔の周りを手で払っているのを見て、決して精神を疑ってはいけない。ちゃんと相手がいるのだ。
 しかし空は青く雲が刷け、太陽が降り注ぐ真夏の昼下がりの光景です。
 12時に近づいたので又川の方へ。男性がいて、やはり1人でその辺りを払っている。さっきも1人いてスプレーをかけてあげたら後からこのスプレーはよく効くと喜んでいた。
 今度の人は手も血で汚れている。大分かまれたのだろう。かけてあげたら、ほんとに嬉しそうに礼を言っていた。
 真夜中、太陽を見たさの一苦労です。私達がいたその場所はとても美しい太陽を見ることができました。
 ホテルのレストランでは音楽が鳴りダンスをしていた。
 部屋に帰り頭がフラフラするので、ゆっくり足元から熱いシャワーを浴び、風邪薬と舌下薬を飲んで寝ました。とても良くねむれた。
 ノールカップへ行くことを真剣に思案する。もっと本気に寒いのだから。

7/10(水)大雨
 12時迄ベッドにいた。でも本当に良く寝た。睡眠不足も大きいと思う。ずーーっと白夜の影響下にある国を通って来たのだから。
 何んかほんとに寝た、という日が殆どないもの。今日は天気が良ければインフォメーションに行こうと思っていたが丁度良いのでごろごろとする。気分良く、ごろごろ出来るのがいい。
 パパにFaxを打つ用意をしてラーメンを食べる。白菜入れて。おいしい!叫んでしまう。久しぶりに何かを作ろうという気になったな。
 今3時、眠いので一辺寝て、5時からサウナに行こう。ぐだぐだしていたけどお腹が又空いたのでオートミールを作り食べた。あまりおいしくないオートミールでした。
 5:10位からサウナ。2回目、ちょっとこたえる。夜の降圧剤を飲み横になった。
 テレビが2局だけやっているので6:30位までコメディものなど見る。身体はとても良い調子になってきている。明日は晴れるだろうか。いずれにしてもインフォメーションには1度行かねばならない。
 もう今日は早く寝よう。

7/11(木)大雨
この後、迎えに来た主人とノールカップへ行き、ウイーン経由で帰国します。まるまる2ヶ月間の苦しくも有意義な一人旅でした。最後までおつきあいくださいましてありがとうございました。時間がありましたら、あなたの旅の参考にビデオも見てくださいませ。

(C)Copyright 1997 2008 Sigeko Kamii Allrightsreseved